おす!おら、応援団

僕はよく返事に「おす!」というのを使います。
何故かと申しますと、中高一貫男子高時代に応援団に入っていて、その時のくせが染みついてしまっちゃっているのです。

別に応援団といっても、うちの学校は部活がむちゃくちゃ弱く応援しに行くような舞台はないですいし、体育祭で披露するだけのものでした。
ただ、普通の体育祭のためだけの応援団とは少し違い、つながりが異常に強く、団員であることの誇りがとても高かったです。

中学3年生から入れるようになるのですが、3年の団員徴集のときはその学年の調子にのってるやつ、活きのよさそうなやつが8人、半強制的に選ばれます。
ですので、先輩方も怖かっこいい方々ばかりで、不良ぶってるガキはすぐに憧れてしまうのですね。
選ばれた瞬間は、人前でそんなの嫌だな、と思うのですが、僕もすぐに団員として誇りを持つようになっておりました。

そして、最初にならうのが返事の仕方です。

おす!!

応援団の活動中は、返事は「おす!」
「はい」や「いいえ」は関係ありません。
とにかく「おす!」

団長「お前ら、声が出てねえやねえか!」
団員一同「おーっす!」

団長「お前ら、やる気ねーんか!」
団員一同「おーっす!」

言葉の内容でなく、声の大きさで表すという斬新な表現方法でした。
ですので、

先輩「お前、援団をなめてんのか!」
坪井「おーすっ!」(そんなことありません!)
先輩「あ、なめてんのね。ボコられたいってことね」
坪井「おーーーすっ!」(お許しください!)
蹴られまくったあと
坪井「おーーすっ!」(申し訳ございませんでした!)

と、一つの言葉に、いろいろな思いを込める表現法を学びます。
もちろん、どう受け取るかは相手次第という、表現と相手の関係性も学べます。

このように援団にはまりまくった自分たちは、美的感覚も気合と根性が中心になります。
例えば、先輩に
「援団の声は、まず喉から血を吐いてからじゃあ」
と言われると、仲間たちの中で
「俺、口の中が血の味がするぜ」
というワード(さりげなく言う)がはやり、唾を吐いて血が混ざってるのを見せ「やるじゃねえか」と、納得しあうという奇行が当たり前になります。

一番下っ端の時代は、とにかく粋がるだけでした。
しかし、後輩ができてくると少し変わってきます。
あのかっこよかった先輩のようになりたい!という意識が芽生えてきます。

僕がかっこいいと思った先輩は、周りのちゃんといいところ、がんばってるところを認めてくれる先輩でした。
そして、だめなところはしっかり教えてくれる人でした。
その人たちは、演武もかっこいいし、言ってること見ているとこも、とても的確でした。

なんでだろうと、思いました。

しかし、答えは簡単だったんです。
その人たちは、自分が目指すかっこいいに向かって努力しまくり、また下っ端の時に僕と同じようにそういう先輩方に同じように教えてもらってるんです。
中3の下っ端時代は、ただひたすらやってきましたが、後輩ができるとよく分かりました。

精神的にも肉体的にも限界ギリギリに追い込まれ、そこで出てくる自分の弱さ。
でも援団が好きで、粋がり、がんばるやつらは、とてもかわいかったです。

たぶんこの応援団での3年間が僕の音楽をやっていく姿勢にとても強く関わってると思います。
音楽の世界には目指したくなるかっこいい先輩(知ってる限り90歳以上で先を見続けてる方がいます)がいっぱいいるし、ガツガツくる音楽大好きで必死な後輩がたくさんいますもんね。

あたし、負けない。
かっこよくあり続けるぞ!

そして、今日もどこかで気合を入れて、おす!と返事をしているのでしょう。

ベルリンでの自主練

今回は早い更新であります!

さて、スウェーデンでもだったのですが、ベルリンでは日本のいわゆる貸スタジオみたいなのはあまりありませんでした。
どうしているかというと、基本的にみんな家で練習できたり、スタジオに使える部屋を何人かで共有して借りてたりします。
そういう物件がまあまああるので、貸しスタジオをわざわざ毎回借りてなんてしないんですね。

例えば月500ユーロの練習部屋を4人とかで借りてて、曜日や時間帯で分けて使います。
ここで、個人練習はもちろんバンドのリハなども行います。
ですので、この部屋を持っているやつ(特にドラマー)は仕事が有利になります。
だって、そいつを雇えばリハ場所も同時に確保できますし、自分がいろんなミュージシャンを呼んで交友をどんどん広げていけますから。
全員、こういう練習場所を持っているわけでないし、ドラムは置いてないことが多いので、ここも雇いのポイントになります。
僕はドラムセットもリハスタも確保できてなかったので、実際このせいでいくつかのバンドを逃しました。

さて、僕は自主練習をどうしていたかというと、まずベルリンに着いて練習パッド的なものを買いに行きました。
予想以上に高かったですね。
帰国したら自分のも持ってるし、わざわざ買うのもなぁ、と思ってたところ、ひらめきました!

別にパッドじゃなくていいじゃん!

そこで、スネアスタンドは日本にあるのはだいぶ傷んでるから、買っちゃおう。
そしてそこに板のようなものを載せて、ゴムのようなものをひけば十分じゃん!

とういうことで、さすがベルリン、大きな画材屋さんみたいなところに行ったら、いろんな板やゴム的なものが多々あります。
しかも超安い!
結局スネアスタンドとブラシの練習もできそうな滑らかな板、スティック用のための消音ゴムを買って練習道具は揃いました。

さて、あとは場所です。

僕は最初ギャラリーの一角にある四人部屋に住んでいました。
そこの敷地には大きな駐車場があったので、その角っこに行きました。
煉瓦造りの花壇が出っ張っていて、シンバルやハットの高さになります。
バッチリです!
そこで毎日練習が始まりました。

通る人は僕をよくちらちら見たりしましたが、むしろ好意的でした。
住んでる方やギャラリーの方にうるさくないかとよく質問しましたが、みんな「全然!そんなこと気にしなくていいよ」と、やさしく声をかけてくれました。

僕は毎日、そこで練習して、ジャムセッションに行って闘うという日々が続いておりましたが、12月くらいになってくるとだいぶ寒くなってきました。
そうしたら、そのギャラリーのオーナーが話しかけてくれました。

「ヒロ、とってもがんばってるね!でも寒くないかい?ちょっとついてらっしゃい。」

そこは、僕が住んでるとこの裏のビルで、絵描きの方の共有スタジオが何部屋か入ってるところでした。
そこにあるキッチンに連れてってくれ、

「ここならみんなの邪魔にならないから、練習をしていいよ。帰るときに暖房の消し忘れだけはしないようにね。」

と言って、そこでの練習を許可してくださいました!
しかもこの階に入る鍵も新たにくれました。
もう涙がちょちょぎれそうになり、うれしくて何度も何度もお礼を言いました。

それから、迷惑にならないよう気をつけながら、そこで練習したので、画家の子たちとも仲良くなり、いろんな意見交換もしました。
海外から来てる人も多かったので、いろんな話を聞けてよかったです。

ところで、その韓国系のオーナーの方は、毎月注目株の展覧会をそこで行います。
彼女は50・60代ですが展覧会では胸がガバっと開いた皮のドレスを着たりと超かっこいい破天荒そうな女性でした。
ですので、見た目はけっこう怖そうなのですが、ただものごとをはっきり言うだけで、優しい方でした。

本当に寂しくつらいこともたくさんあった海外生活は、彼女のようなステキで優しいたくさんの方々のおかげで乗り越えられました。
本当に感謝しております。

ご趣味は、、、

書くことをいろいろすっごい迷ってしまい、書いては消して話題を変え、を何回か繰り返したので、とりあえずスッと書けることを書くことにします。

僕の趣味は、読み物全般であります。
漫画はもちろん、小説など様々です。
その中の一つに児童文学があります。

出会いは学生時代でした。
4年生くらいのころ、国語教育の授業で、新しく本を一冊読んで、それを紹介するチラシをつくりなさいと言われました。
何にしようかなと図書館に行って、いろいろ見ましたがピンとこず、試しに絵本を手に取ってみました。
そこで、たまたま手に取ったのが「The giving tree(邦題:大きな木)」でした。

当時の英語力で読める程度の文でしたが、とても詩的で読む人・境遇によって変化する内容の素晴らしいものでした。
絵はとてもシンプルで、それがまた文と合っており、1ページ1ページが、文字の配置なども含めて素晴らしい作品にも感じられました。

内容は割愛しますが、これをきっかけにShel Silversteinさんの作品を集め、Leo Lionni(スイミーをご存知の方も多いはず)などに飛び、絵本だけでなく、MOMOやThe lord of the ringsなどいわゆる児童文学と呼ばれるもの全般に飛んでいきます。
もちろん日本のものでも好きなものもあり、昔話系はもちろん冒険者や守り人シリーズなど、時代・国籍を問わず大好きです。

特に一冊をあげるとすると、ゲド戦記は何度も読みました。
でも1から3までです。
4はショックを受け、途中でやめ、5は読んでません。
後で調べたら、3と4の間には大きな開きがあり、やはり別ものでした。
お願いだから、ゲドを使って書かないでほしかった、、、

まあ、それはさておき、出会いとは本当におもしろいですね。
僕は後日、The giving treeの日本語訳のほうを探して、読んでみました。
しかし、絵と文字の一体感はそれでは感じられず、原本の感動を持っていた僕にはとても味気なく見えてしまいました。
悲しかったのは、文だけでなく、絵の中の文字(木に刻まれた文字)までが、普通のフォントで訳されてました。
原文で木の代名詞がSheになっていたので、どう訳すだろうと見たかっただけなのに、、、

たぶん僕は日本語訳のほうを手に取っていたら、児童文学との出会いは遅れていたでしょう。
訳すというのは、とても大変な作業というのは重々承知ですので、それに文句があるわけではないです。
ただ、作品というものはちょっとしたようなことでも、それの持つ輝きや凄さを失うことが多々あるんだと知った大きな出会いでした。
絵本というものは、絵と文字も含めて一つの作品にしてるんだと感心した次第であります。

The giving treeが感動で、僕にいわゆる児童文学というものの目を開かせてくれたように、音楽で新たな楽しみを開かせれるよう精進していきたいものです!

*後日の書き足し
村上春樹盤で新しく、原本に近いような訳で再発刊、絵の中の書体も変更されてるそうです。

しかし、いけません。
僕が手に取った大きな理由は、裏表紙です。
作者の写真がとてもインパクトがありました、いったいこんな顔の人がどんな絵本を書くんだろうと。
僕も当時、丸刈りで髭、たぶん見た目は怖かったかもしれません。

読む前と読んだ後で、作者の顔がどう見えるか。
読む前に作者の顔を見て、どう想像したか。
読んだ後、作者の顔を見ながら、どう思うか。

それを読み手に試してくれます。
そんな意図があったかは知りませんが、それだけで「泣いた赤鬼」の話のようなを体験できます。
(他の作品を知ってる僕には、シェルおじさんは意図的にのせてるでしょう、と思います)

僕は見た目をよくいろいろと利用します。
その話はいつか書きたいな。

ぜひまだ読んでない方は、作者の顔を先に見ることをお勧めいたします。

おでは男だ、男だど、、、?

僕はけっこういろんなところで、教師系の仕事をしました。
千葉でも大分でも。
どれもステキな思い出があり、いろいろ書きたいのですが、特定できないように書くのはなかなか難しいですね。

さて、僕はあるところで教えていたのですが、そこのトップがけっこうひどいお方で、いろいろトラブルを起こしておりました。
そしたらある日、一人生徒が泣きながらあたしのところにやってくるではありませんか!
その子は普段、涙を全く見せることはなく一生懸命がんばってるし、前向きで素直な子だったのでびっくりしました。
事情をきいてみるとそのトップの方の授業で、トラブルがあったと。

さて、坪井はちょうど時間も空いていたし、僕が事情を聞くことになり、その方のところに参りました。
そうすると、その方の言ってることは極悪でした。
(ここらへんはかなり曖昧にします、あまり人の悪いことをこのブログでは書きたくないのと特定の可能性を減らすためです)

とにかく、いろいろな深い事情があり、坪井は怒りの頂点へ!

さあ、大変!
向こうも感情的になってしまいましたので、話を一時切り上げ、とりあえず時間を置こうと思い、去りました。
戻って、その子と話をして安心してもらい、新しい担当の先生に引き継いでもらい、一段落させました。
そして、自分は癒されに他の子たちのところへ見学に行きました。

さて、前置きが長かったですが、ここからが書きたいことであります。

自分が見学をしていると一人の先生が僕のところへ来ました。
そのA先生は中間管理職のような立場で、いつもそのトップとの間で苦労している僕と同じ年くらいの方です。
プライベートでも仲が良く、子ども達へのこれからも一緒に熱く語り合うような仲でした。

A先生が言うには、トップの方が僕と話をしたいと呼んでいると。

それは僕には無理でした。
表面上の怒りは収めてても中は爆発寸前、たぶんその方の顔を見たら話しどころで終わりそうにないくらいです。
今の状態では無理と思いました。
しかし、かわいそうなのは使いをさせられたA先生。
今、話をしてもこじれるだけなのは分かってるし、かといって話をしようと言ってるのには正当性もあり、呼ぶのを断るわけにもいきません。

そこで、この先生に迷惑をかけてはいけないと思い、坪井はひらめきました!
「よし、今、話しても無駄だから話をしたくないと言われ、それでも説得したが坪井に逃げられた、ということにしましょう」

自分がいたところは、一階の一番奥の部屋で、出ていくにはどうしても事務室の前を通っていかないといけないので、そのトップの方の前を通ります。
それでは万が一があるので、違うところから出ていかなきゃなりません。

そこで、「じゃあね」と、窓から出ていき、車に乗って帰りました。

僕はちゃんとバカですから、この話は「友に迷惑をかけないため、いろいろなことを覚悟で、窓から颯爽と去る男らしきエピソード」と思っておりました。
もちろんその日の仕事も終えてましたし、その後に子ども達のフォローなどもちゃんとしましたので。

まあ、とにかくその後いろいろありましたが、数年後のカナダから帰った時に当時のこの仕事先の先生方が坪井のために飲み会を開いてくれました。
もちろんトップの方には内緒で。
みなさん、本当にステキな方で、A先生は坪井の話を聞いて勉強したほうが良いとそこの新しい先生も何人か連れてきてました。

そしてA先生が僕をその新先生たちに紹介をしてくれました。
「すごい先生だったけど、窓から出ていくという奇行もするおもしろい人です!」
えーーー、あれは面白エピソードなの?
僕は「男らしいエピソードと思ってたのに、、、」
というと、
「窓から出ていくなんて、バカでしょ!ぐふふ。」
となり、みんなで笑って盛り上がりました。

楽しい飲み会でした。

ロシアンフレンド

前にも書きましたがカナダは移民の国でした。
特にトロントは顕著で、僕は2世、ギリギリちっちゃい子で3世を見ただけで、国とは何かを改めて考えさせられました。

そこで出会った大好きな友達の話をします。

「彼」はロシアから来た超マッチョの男性で、当時の僕よりも英語ができませんでした。
マッチョ度は振り切れまくってます。
何といえばよいのか、達磨です!戦車です!
ハグをしたら、僕はペキョペキョにされちゃいそうです。
でも照れ屋で引っ込み思案のステキな青年でした。

出会いは衝撃的でした。

僕が通っている語学学校のクラスが一つ同じでしたが、ほとんど話したことはありませんでした。
しかし、2か月くらいたったある日、ちょっとしたことが起こります。

何の話からだったか、その日の話は何故かステロイドの話になりました。
先生は「ステロイドは最悪だ」みたいな話をしてみんなと討論をしてました。
その日はめずらしく「彼」が発言をしました。
「ステロイド ドント バッド」
どうやら、ステロイドは悪くないという意見を言いたいようです。
先生は驚いて質問します。
でも「彼」が話そうとするけど、上記のように英語があまりできず、要領を得ません。
先生はあの手この手を使って、「彼」が何を言いたいのかを引き出そうとするのですが、無理でした。
そして、「彼」は困ってしまい絞り出した言葉は
「ヒロシ アンダスタンド ミー、メイビー」

えーーーー!
どういうこと?あたし、ステロイド使ってそうなの?他にも日本人いるし、日本を勘違いしてるわけでもないだろうし、突然過ぎて訳が分かりません。

クラス中が驚いて「Why Hiroshi?」と先生は連呼。
僕も聞かれますが、分かりませんと言うしかなく、「彼」も説明できません。
「彼」がステロイドを他のものと勘違いしてるのか、医学的で限定的な使用の話をしたかったのかなど分かりませんが、結局「もし筋肉増強に使ってるなら絶対にやめなさい」となり、話は終わりました。
そのあと「彼」に話しかけましたが、結局真相は分かりませんでした。

しかし、そのことにより「彼」とは話すようになり、何故か「彼」は僕に絶大な信頼と好意を持ってくれてることが分かり仲良くなりました。

僕は最初の3か月はホームステイをしており、そのルームメイトの別のロシア人とスペイン人と仲良くなっていました。
その3人で飲もうとなったので、ちょうどロシア人同士だし「彼」も誘おうと話をしました。
そうして、「彼」の家で飲むことになったのですが、「彼」の家は超高層マンションの上のほうで景色はすごいし、部屋がいくつもあるし、かなり家賃が高そうでした。
みんなが、なんでこんな良いとこに住んでんだ?と聞いてもよく分かりません。
ロシア人のルームメイトもロシア語で聞くけど真相は謎でした。

ただやっぱりすごかったのは、その飲みっぷり。
ウォッカをショットで「くいっ」。
飲んでは缶詰のフルーツをばくっ、飲んではの繰り返しです。
しかもショットグラスでなく、マグカップですよ!
僕も経験だと思い、2杯やってやめたのですが、5分後小をしにトイレに行こうと思ったら、いつの間にか吐いておりました。
自分で気づかずに吐いたのは後にも先にもこれが初めてです。

後は僕を看病してくれ、帰路につきましたがずっとロシア人のルームメイトが僕の肩を支えて歩いてくれ、それがうれしくて号泣しながら(本当にワンワン声を出して)帰りました。

さて、謎な「彼」。またある日突然、僕に電話がありました。
どうやらスポーツのコンテストがあるから見に来ないかと。
車で近くまで迎えに来てくれました。
運転してるのは、「彼」のジムのトレーナーらしいのですが、見た目は特殊部隊の方です。
締まった体で目が鋭すぎます。
もちろん「彼」はすっごい良いやつだとは思っていますが、さすがに筋肉達磨と特殊部隊員の車に連れ込まれ、知らない言葉が飛び交うと不安を感じました。

しかし現場に着くとそこは体育館。
バーベル挙げの会場で、「彼」が出場します。
僕は初めてバーベル挙げを見ましたが、感動しました。
いつもやさしい顔をしている「彼」が、真剣に自分のギリギリと勝負してました。
トレーナーも真剣にアドバイスを送り、一緒に戦っておりました。
持ち上げようとする一瞬に今までのすべてが凝縮されており、本当に素晴らしいものを見せてもらいました。

結局、僕らの英語力では意思疎通があまりできませんでしたが、特殊な仕事をしていた関係もあり、自暴自棄になり自分のエイズの血をいれたコップを片手に持った人を説得した話、ロシアではジムが異性との出会いの場になっている話など、ロシア人のルームメイトの通訳も交え聞いたり、本当にいろいろな貴重な経験をさせてくれ、つらいカナダ時代の支えになってくれました。
言葉の壁があり、友達がいなかった「彼」がなぜ「ヒロシ アンダスタンド ミー、メイビー」と言ってくれたのか未だに謎ですが、何故かとってもうれしかった思い出の一つです。

当時はFacebookなどもしていなかったので、もう会えることはないでしょうが、ムキムキな巨人が言いたいことが言えず困ったときの表情はやさしさにもあふれ、今でもよく思い出されます。

受験勉強(大学入試)~結果~

ちょっと開いてしまいましたね、一回途中まで書いたのが消えたりして今日になっちゃいました。

さて、結果です!
大分県最下層の学力だった僕がどうだったかというと、、、、

運よく千葉大に受かったんですが、そんなことは結果の重要なことではないんです。
もちろん千葉大にいろいろあったけど結局行って、何にも代え難い経験や出会いに大感謝でありますが、そういう意味ではありません。

受験というものを一年弱ですが、やると言ってやりきった結果、何を学び、何を得たのかが重要なのです!

自分に対しての一番の結果は自信を得たことでした。

僕が自分の直接したいことではなく必要だと思い、こうやると決めてある程度の期間をかけ、やりとげることができた初めてのものでした。
前に書いた通りセンターが一番の目標でしたから、点数がどうであれ、センターの初日のすがすがしさったらなかったですね。
中2くらいから本当にまったく勉強してこなかったやつが、高3の4月に受験をすると言ってから、毎日一生懸命自分なりに格闘し続け、その時までに自分でやれる精いっぱいを持って、目標の舞台に臨めたのです!
こんなうれしく、すがすがしいことは、生まれて初めてでした。
点数がどうなるかはあまり重要じゃなかったです、運など他の要素である程度上下しますし。

いろいろなことがあったけど、迷わず、言い訳をせずセンターまで必死にする!ということをやりきれた結果は、自分に嘘をつかず小さいけれど自分にはとても重要な純粋な自信のかけらを手に入れました。

周りの人たちに対しての一番の結果は、信頼の入り口を得たことです。

特に家族は、中学で最悪になりはじめても僕のことをずっと支えてくれ、向き合い続けてくれていましたが、やはり僕はうまく表現もできず、何度も裏切り、そして傷つけてきました。
しかし、僕を信じるという小さな土台をたった一個ですが、初めて自分から渡せました。
今まではそんな土台もないのにずっと信じて向き合ってくれていました。
それにようやく気づき、感謝しかありませんでした。

そして、ただ受験をするといっても一人ではできません。
家族はもちろん、友達や先生などいろいろな人に本当にいろいろな力を貸してもらえたから、やりきることができたのでした。
そして、なんと僕もそんな力を分けれる一人だったんです!
知らなかったです!あたしのことはあたしだけのことと思ってました。
バカですね。
それにようやく気づくことができました。

さあ、中学・高校生などのみなさん!
別に受験をしろ、なんて勧めていません。
もし、自分に自信が無かったり、どうしていいか分からなかったり、つらかったり、もうだめだと思ったりした時、新しくてもちっちゃくてもいい、何か目標を作ってある程度期間をかけて、最低でも自分だけには嘘をつかず(これ、超重要!)やりきってみるのも一つの方法ですよ。
もちろん何度失敗してもいいです、またやってみればいいんだから。
僕は受験を初めてやり遂げられたと思えたことだと書いてますよね。
それまでに、いろんなことで自分に嘘をついたりごまかしたり、何百回も失敗してます。
休みながらでいいんですよ、無理は自分に嘘をつかないとは違います。
ただ何でもいいので、「ああ、僕は自分なりにやれることをこれまでにやりきったなぁ」と、胸を張って自分に言える日を迎えてほしいです。
本当にそのころには自分も周りも全てが変わってるから。
何を得るかは、それぞれ違うだろうけど、自分にとって最初には思いもしなかった大切なものに出会えますよ!
無理は絶対しちゃだめ!!自分なりでいいんですよ!!誰かは自分の基準に一ミリも関係ないっす!!

受験はその何かの中では、日本では現在まだ超お得でお便利ざます。
例えば、「どこどこ大学!すげーー!!」、とかいう意味不明な評価を付加してくれるんです。
「お前、よく一年やりきったな!すげーー!!」に比べたら、上のは全く意味ないでしょ?
でも今の日本ではまだ利用はできるんで、お得っす。
大学という場所もけっこうステキな場所にできます。
だから、特にこれってのがない人にはとりあえず死ぬ気で勉強やってみちゃったら?とは勧めますね。

とりあえず例えば受験なら、どこどこ大学目指してください。
受かろうと落ちようと、そこまで自分なりにやりきれた結果を手にしてください。

僕は、そんな一生懸命向かってる人たちを心から応援しますよ。
僕もそんな君と同じように今も目標に向かって進んでます。
仲間だね!

ちなみに僕はセンターでうまくいかず落ちたりなどで大学に行ってなかったら(当初から行く気は全くなかったです)、家を出、バイトしながらドラムを学び、お金を貯めて渡米しようと思ってました。
そうなってたら、どうなってたでしょうね。
確実なことは今と同じく、「俺、受験勉強頑張ったな」という自信に助けられながら、一生懸命やってるでしょう。

受験勉強(大学入試)~実践編~

さて、大分県でもほぼ最下位と分かった僕は作戦を練ります。
どう攻略をすればよいか、、、

有名私立にするか、国立を狙うか、、、
私立の場合は、科目を絞れる代わりに試験の難易度が高いイメージ。
国立はセンターを受けなければいけない。

ここで決め手になったのは、むちゃくちゃ難しい問題が出て誰もほとんど解けず、勉強まるっきりしなかったやつが早稲田に通ったという噂。
要するに私立の場合、問題によるという賭けになることがある、ということです。
やったらやっただけというのが反映されやすいのは、センター試験。
ですので、今までの積み重ねもないですし、自分は迷わず国立を選びました。

そして、2次試験の対策までの時間が取れないだろうと踏んだ私は、センター重視、2次があっても先生が好きだったので授業は聞いていた国語のみのところに搾ります。
ですので、第一志望は横浜国立大学経営学部(センターのみ)、第二志望東京学芸大学中学校国語(センター+2次国語)、第三志望千葉大学小学校国語(センター+後期は面接と小論文)というおかしな組み合わせになりました。
ここに受かれば文句はないだろうと。

さて、全科目一からやりなおしです!
前回書いたように英語と数学は中学校の参考書からです。
では、ここで受験の重要なポイントを書きます。

1、モチベーションを保つ
はっきり言って、受験は大変です。とにかくめげずに続けていくことが重要です!
僕はまず兄にもらった眼鏡のフレームで伊達メガネを用意しました。
「俺、勉強マンです!」の格好から入ります。
また、家にこもってしません。
本気で勉強する友達と図書館に行ったり(始まってから終わるまで口はききません)
唯一行っていた知り合いの英語の個人塾の日は塾の始まる何時間も前に行って一人でします。
帰ったら、親が起きてる23時くらいまでしかしません。

これらはどういうことかというと、「俺、勉強してるよ」アピールをして自己満足するためです。
「がんばってんな」の一言がモチベーションをとても保ってくれます。
単語はいらない紙にびっちり書いて覚えます。
そして、こんだけやったぞと満足しながら、単語が書かれた紙を捨てまくります。

ぜったい途中で成績が上がらなかったりなどの不安、迫ってくる焦りなどでモチベーションが落ち、意味不明な考え事で効率が落ちます。
でもやることは決まってるし、もくもくとやるしかないので、とにかく気持ちを保つ工夫を編み出しましょう。

2、問題集などは薄めのものを選ぶ
これは、一つは何冊も終わらせたという自己満足を得るためです。
厚いものは、最後までするのはきついです。
あと重要なのは、薄いものは問題が絞られてるということ。
ですので、違う問題集で違ったアプローチで同じような問題に何回も出会います!
要するに頻出・重要ポイントが染み込むということです。
発展や応用は、そこが完璧になってからのほうが理解も深まります。

ですので、例えば「頻出英単語1600語」は捨てましょう!
絶対できませんし、繰り返すのに何時間かかるんですか?
全く基礎がなかった僕でさえ電車の行き帰りに600語を使っていただけです。
あとは、いろんな中文・長文を読みまくればいいんです。
そうすると、知らない単語の予想力もつく。よくある言い回しも何回も出てくる。読む速さも上がるなど、一石何鳥か分からないくらいの効果があります。

この2つが超重要です!
もちろん細かいのはいろいろありますが、要するに心折れずにひたすら重要なところを繰り返しやれ!ですかね。

これに気づかせてくれたのが、周りの友達と先生です。
例えば生物の先生は本当に優秀で、先生が手作りでつくった薄い冊子、それだけをもとにあとは問題集で問われ方を学ぶだけで僕はセンター試験で96点でした(今でも間違えた一問は、問題が間違ってると思ってます)

どうやりきるかをうまくやれば、県最下位のやつがセンターで結果を8割程度出すくらいは余裕でできます。
センター試験は対策をやったぶんだけ反映しやすいようにできてるという意味では、かなり優秀なテストです。
この情報をやる前に知ることができ、何をやればよいかを先生や周りの生徒から教えてもらい、信じてやりきっただけです。

実際の毎日はどんな感じかというと、起きてる間は、休憩や気分転換を大事にしながらほとんど勉強です。
睡眠はしっかり、途中短いうたた寝は入れるのもありです。

さて、次回はまとめということで、結果と受験というものについて思うことを書きます。

受験勉強(大学入試)~動機~

さて、前回に引き続き自分の恥を忍んで告白をいたします。
何故書くのかは少し前回書きましたが、中高から大学受験の流れを見て現役中学・高校生に知ってもらいたいことがあるからです。
お願いですから、武勇伝(そんな大した話もないですが)とか自慢とか捉えたりしないでほしいです。

本題に入ります。
前回書いたように僕は最下位で入学しました。
そのあと、半年くらいは勉強をしましたが部活に明け暮れたのもあり、まったく勉強をしなくなります。
授業のスピード、量についていけない(ついていく気力もない)のもありました。

ですので、中一の秋にはまた最下位あたりをうろうろしてます。

うちの学校は進学校でしたが、中高一貫で高校入試がなく勉強しないやつは本当にしてなく、できないやつは高校入試のふるいがない分、本当にできなかったです。
もちろんあたしもこの一員です。
ただやってるやつは、先生方も優秀ですし本当にできます!

中学三年生で、音楽を志したのもあり、勉強はいらないとなり、高校も行く気がなかったです。
ここは親との死闘がたくさんありました。
本当に最悪で、特に高校時代は学校をやめたいのもあり人に迷惑をかけるようなことをたくさんし、さんざん親を困らせていました。

とうとう高校二年生の終わりにドラマーになると家を出ます。
このアホは、福岡に行きお金を貯めてからアメリカに行こうと企てますが、結局見つかり兄にボコボコにされます。
ここで、ようやく親がこのボケナスに真剣に向き合ってくれてることに気づきます。
そして、今までのさんざん好き勝手やってきたけじめをつけようと思いました。
その表現方法に大学受験をし、大学を受からすという方法を取りました。
他に方法を知らないバカは、それでドラムをどんだけ本気でしたいのか、やらなければならない嫌なことから逃げない、などを証明しようとしました。

これが高校三年生の四月の話です。

この前、帰国したばかりのころ中高時代の友達と卒業以来再開し、話になって思い出したのですが、「いきなり大学受験を始めたと言いだして坪井が取り出したのが、中学の参考書だった」と笑い話が盛り上がりました。

みなさん、僕は決して特別頭が良いとかでありません。
ただ僕が恵まれてたのは、周りの同級生・先生と「頭が良く無いと大学はうからない」「今からやっても遅い」という先入観が全くなかったからです。
「坪井が特別ではない」というのを信じれるかどうかが、まず入り口です。
これが超重要です!!!!

さあ、その入り口に立った僕の最初の模試の結果はどうだったかというと模試を受けた大分の高校生6000強の中、6000番台でした。
そりゃそうでしょう、中学参考書が友達になったばかり状態ですもんね。

次回はただ「大学を受からす」というのが目標の自分がどういう戦略をとり、実践していったかを書きます。

受験勉強(中学入試)

ちょっと受験のことを書きたいと思います。

僕は中学受験をしております。
小学校の5年生から、大手の塾に通うようになりました。
これは別に受験するためとかでなく、家族同士で仲のよかった子が通ってたので一緒に通う?とむしろ付き合いでとその子との行き帰りを楽しむものでした。
ですので、塾で出る宿題はもちろん勉強はほとんどやったことがありませんでした。

その友達たちは結構勉強をしていたようで、かなり成績がよく塾でもトップのクラス、全国の模試でも名前があがるような子でした。
僕はもちろん最下位のクラスで、帰り道に当時引退した千代の富士の記者会見のモノマネをしたりして騒ぐのが楽しかったです。

そして小学6年生になると中学をどうするかという話になってきます。
模試では毎回第3希望くらいまで、志望校を書くのですが他県の進学校は全く無理の判定でしたし、大分の私立もがんばれば可能性があるかもくらいの判定でしたので、まったく考えておりませんでした。

当時、別府の公立中学校は男子は丸刈りでしたので、一度試しに丸刈りにしてみようと思い、早くも丸刈りをしてしまうほど公立に行く準備は万端でした。
このあと、あたしの天パは出現しだします。

しかし、6年生の秋に事件が起きます。

秋に遠足ということで、山登りに行きました。
そこには隣の小学校も来ておりました。
そしたら、何やら女の子たちが隣の小学校の子にバカにされたと話を聞きました。
当時、粋がっていた僕は「なにー!」とちょっかいかけてきたやつらのところに文句を言いに行きます。
すると話が大きくなり、「文句があるなら放課後かかってこいや」ということになりました。
そこで、僕らは遠足が終わった後に殴り込みに行くことになりました。

向こうは実際にくるとは思ってなかったようで、びっくりしてました。
向こうは仲間を連れてくるから待っとけと言い、待っていたらリーダー格がやってきました。
先生も一緒にきました。
そして、先生の仲裁のおかげでその場は収まりました。
しかし、リーダー格の子は僕に目を付け、僕とやりあいたいと息巻いており、あたしもかかってこいやとなっており、そこだけはうやむやになって終わりました。

この事件自体は大きなものではないのですが、実はこのリーダー格の子が問題でした。
この子の姉は、暴走族に入っており僕がいく中学でかなり幅を利かせていることを後で聞きます。
僕に目をつけているリーダー格の子ともその姉とも同じ中学になってしまいます。
危険です!
それもあってか、同じ小学校の同級生ともそのころくらいからうまくいかないようになってました。
塾に通う時の友達との方が仲良くなっていきました。
冬休みが終わったころには、大分の私立に行きたいなと思うようになっておりました。

親はまさか僕が私立に行きたいなんて思ってなかったので、びっくり!
「どんだけお金がかかると思ってるの!」です。
しかし、とりあえず受けてから考えようとなり、受験対策を始めます。

さて、大分の当時唯一の私立を受験することになりました。
しかし、何をしていいか分からずとりあえず過去問を買いました。
それが試験の一週間前、、、

普通、過去問は解くものというより、傾向を知りどのような勉強をすればよいかを知るものです。
しかし、まったくわからない僕はとりあえず解きます。
算数で、分からない問題があり、父に相談したら小学生特有の問題過ぎて、父もうまい解き方が分からない。
そこで、僕らはタッグを組み一週間かけてその問題に取り組みました!
何とも意味のない受験勉強はそうして終わりました。
でも父とのいい思い出は残りました!

けっきょく試験はあまりできなかったですが、塾などで聞いたことのあるものもあったので何とか解きました。
社会の問題で「この道路は国道何号線か?」という問題なんて、名前のついてる道路はジュウゴウセン、しか知らなかったので書いたら合ってたとかいうレベルです。

そしたら奇跡的に補欠30番に入りました!
もともと倍率が低かったのもありますし、付属中に人が流れたのもあり奇跡が起こりました。
しかし、何とか補欠に入りました。

補欠の有効期間は2週間で、それまでに連絡がなければ落ちたということでした。

しかし、期限最終日にとうとう連絡がきました!
もうそのころには親は覚悟しててくれており、即支払いをし岩田学園に入学することになりました。

坪井の中学の危機は、こうして逃れることになりました。
公立に行ってたらどうなってたでしょうね、ボコられて悲惨な中学生活か奮闘して悪街道まっしぐらしか思いつかなかったです。

ちなみに入学式の日に今年は補欠30番までとりましたと聞きました!
ああ、10号線を思いつかなかったら落ちていたでしょう。
ありがとう10号線!他に246号線や16号線などいっぱいなくてよかった!

しかし、このあと僕が奮起して成績を上げていくのかというと全く逆です!
素行も悪くなり、親が毎月呼び出される2年間もあります。
この前、親に改めて言いましたが、よく見捨てず最後まで向き合ってくれたと、、、

ここら辺は次回の受験(大学入試)で少し触れますね。
本当はそれを今の受験生に見てもらいたいために恥を忍んで書きました。
ああ、情けない、、、

修行

さて、前にも書きましたが僕がプロの音楽家になりたいと志したのは中学生の時です。
でも当時、素行も悪かった僕はドラムをすることは許されず、日々音楽を聴きまくりながらドラムの音をひたすら口ずさむなど、楽器を使わない音楽修行を行っておりました。

傍から見ると変態ですよね!
当時はTOTOのジェフ・ポーカロが大好きで、ロザーナなどを主旋律でなく打楽器だけをブツブツ言ってました。
自転車に乗りながら「タカドジーン、ドパン、ドドッ、ドッドパン」
電車を待ってても「チパチ、チパチパン、チパチ、チパチ、チパチパン」
と、唱え続けてます。
四六時中、音楽を聴いてやっていたので当時家族はどう思っていたんでしょう?

また、音楽の修行だけでありません!
音楽を目指すということは、「貧乏でつらい時期も乗り越えなければならない!」と妄想していた僕はその来たる日のための修行も開始します。

僕の部屋は板張りのフローリングで、寝るのはベッドでした。
修行を思いつきました。
住む家もなくなり、道端で寝なければいけないこともあるかもしれない!
そう叫んだ少年は、ペラッペラのゴザをどこかから探し出して、床に敷き、それで毎日寝るという修行を始めます。
しばらくし、「これでどこでも寝れる」と自信をつかんだ少年は、ベッドに戻り、そのフワフワさに酔って気持ち悪くなるという、さらに上の世界へステップアップできました。

ご飯しか手に入らなかったという貧乏エピソードを聞いたら、親がいないときには毎回チャーハン(具無し)を作って食事をすます修行など、他に直すべきところがたくさんあるのに、甘ったれは適当なことを真剣にやってました。

大学に入ってもその要素は残っており、いろいろやっております。
今も残ってる部分がちらほら。
そんなことをせずにスティック握っとけよということなのですが、思春期のエネルギーは、必ずしもまっすぐ飛ぶわけではないようですね。