ベトナム雑記

東南アジアで初めて行ったのは、ベトナムでした。
この時は母親がもうだいぶ年なので、海外旅行が最後になるかもしれないという姉の提案で3人で行くことになりました。

さて、ベトナムなのですが基本観光旅行です。
ですので、ランタン祭りの美しさや歴史的遺物を見学など中心に街並みなどを楽しみました。
ベトナムの王朝のお墓はとても面白く当時うつくしいとされていたガラスの破片や中国陶器の破片をモザイク的に形作って、装飾しています。
ですので、ガラスには日本のビール瓶の破片がありTOKYOなど書いてあるのもありました。
これは、現代のアーティストがペットボトルやゴミからつくった作品と一緒じゃないか!それが王様の墓でかと、日本人であり現在を生きる自分にはとても興味深い思いをさせてくれました。

いっぽう、街中はアメリカの影響が少ない感じを受けました。
外国語で習うのはまずロシア語だそうですし、海外どこに行ってもあると思っていたマクドナルドやスターバックスが見当たりません。
小っちゃい商店がひしめき合うようにイメージ通りたくさんあり、置いてるものが似ているようで微妙に違い、細かく見る楽しみがありました。
あとは驚異的な原チャの多さですかね、街中で驚くのは。
母親を連れてでしたので、道路を横断しなきゃの時は本当に大変でした。

食事はやはりアジアは最高で、パクチーもこっちで食べたのはそこまでクセが強くなくとてもおいしかったですね。
フォーなんて、毎日食べても全然飽きないと思いました。
ただ衛生面が心配なところはたくさんありますので、気をつけなきゃですね。

そして、毎回楽しみにしている?のは海外のトイレ事情。
ベトナムではこりゃまた特殊な体験をしました。
今回母親がいるということで、よいホテルに泊まる旅だったのですが、最後のホテル。
いつも大は部屋ですませるので気づかなかったのですが、ホテルで夕食を取ってるときにトイレに行きたくなり、その階の公衆トイレに行きました。
さすが良いホテルのトイレ、とってもきれいで何も問題ありません。
掃除も行き届いております。
よかったと思って便器に座ってようやく気づきました。
なんと擦りガラスなんです!

ですので、僕が座ってる姿がうっすら外から見えるんです!
誰かは分かりませんよ、でもフォルムはバッチリです!
もしも誰か入ってきて、隣に座ろうものなら、、、

「あら、お隣さんもプリティー・プリンセス(プリプリ)?」
「奇遇ですわね、あたくしもプリマドンナ的プリンシパル(プリプリ)なんですの」

と、心の中で対話が行われます!
幸い誰も入ってこなかったので良かったですが、誰か来たら坪井は「膝までズボン下ろす派」なんだとバレる恥ずかしいことになっていたでしょう。

さあ、雑記なんで今回はどんどん話が飛んでいきますよ。
いつもかな?

ハロン湾というところに行きました。
そこの入り江は珍しい形をした巨石群があり、船でめぐるものでした。
そして少し離れた島(岩?)の入り江の水上で暮らしている部族のところに行きました。
つまり筏や船をつなげるなどして暮らされているのです。

ここは音楽家にはとてもうれしいことに、とても貴重な文化が残っております。
結婚式の時に女性が歌われる歌があり、その歌自体が文化遺産として登録されてるくらい貴重ですばらしいそうです。
歓迎で歌うこともあるようなのですが、いかんせんこの部族の方はシャイで歌ってくれる確率は0,1%だよ、と笑い話として話してくれました。
もう音楽家である自分には、がっくりでした。

でも手漕ぎボートで案内してくれた方は、おもしろかったです。
真面目そうな女性で、手慣れた手つきで漕いでくださったのですが、その船の中で唯一帽子をかぶってない僕に日差しが強いからみたいなジェスチャーで、自分のかぶっている帽子を譲ってくれました。
そしたら、お金を請求されました!
「洋、この人はやり手よ!」
と、姉の冗談に笑いながら進みましたが、低く短いトンネルをくぐったらそんなことはぶっ飛びました。
とても素晴らしい空間でした。

紅の豚に出てくるポルコのアジトのような入り江です。
とても静かで明るい、ステキな空間でした。
ここの静けさでの手漕ぎの音はとても穏やかに聞こえ、僕の中の音風景に加わりました。

さてこの様子に帽子を買わされた笑い話もあるし、満足してゆったり戻っていったのですが、何かうっすら聴こえてきます。
あれって思ったら、漕いでる女性が歌っているのです!
それはとても小さくはかない歌声で、鼻歌のような、でも歌詞があり特殊な声出しの方法で歌っておりました。

とても美しい旋律でした。
歌っていることに僕らが騒いだらやめるかもしれないと静かにゆったり聴きました。
波の不安定でゆったりした揺れにとても合う静かな歌でした。
この土地で生まれたならではの音楽ということが、すぐにすんなり思えたのはこの歌が一番でした。
僕はこのあと1曲モチーフができちゃいました。
みなさんは、相場の何倍もの値段で帽子が売れたから上機嫌の鼻歌気分で歌ちゃったのでは?と言ってましたが、僕は帽子のお礼に歌ってくれたと信じています。

とても貴重な経験ができたハロン湾でした。

最後に話すのは、ベトナムとあまり関係ないかも。
最終日、もう大体街は見たのでゆっくりしたいということで、ベトナムのエステに行きたいと母と姉が言いました。
台湾でもそうでしたが、アジアのエステは丁寧でとても安いのです。

ですので、行くことになりましたが、そこは男性用のもあると。
ドラムで体がボロボロの僕もマッサージにと、することになりました。
いろいろなコースがあり、最初にいろいろ選択して行います。

コースの最初はジャグジー・スチームサウナ・何とかバスの3つから選んで、入ることになってます。
3人とも疲れてたので、ジャグジーを選びました。
そしたら、大変!
なんと母親と姉と一緒のお風呂です!
着替えさせられて行ったので、現場で鉢合わせて気づきました。
2人も着替えており、ただ薄いエプロンのようなものをしてるだけ!
一瞬で目をそらし、ずっと遠くを見る羽目に。

母親は
「洋とお風呂なんて、何年ぶりかしら」
と、姉とゲラゲラ笑ってましたが、こちらは最悪!まさかこの年で、母親と同じお風呂に入るとは、、、
しかもジャグジーの揺れとゲラゲラ笑っていたせいでしょうか、姉が突然
「お母さん、おっぱい出てるよ!」
ゲラゲラ、ゲラゲラ

最悪です、、、もう何と言っていいやら、、、
ただただ反対を向き、さらに眼鏡なしで遠くを見ている自分はこの時間を耐えるのみでした。

あとは全部男女別で、10台くらい並んでいる台に僕しかいない空間で、若い女性に太ももを重点的にマッサージしてもらい、太ももの上に手が来るたびに
「あれ?おタマタマ師匠にあたってません?」
と、問答を繰り返すくらいでした。

なぜ、毎回海外のマッサージで耐える修行をしなきゃなんでしょう。
これは前に全て話した僕の「お嫁にいけない」シリーズに加えても良いのですが、でもなんかそれとも違うなと、もうよくわからないです。

こんな、いろんなことのあったベトナム。
タイトルは「ベトナムで起きた奇跡」にしようと思ったのですが、雑記にします、、、

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プロフィールの書き方

僕は仕事柄プロフィールを書くことがとても多いです。
小さいころから履歴書を書くのがとても嫌だったのにこんなことになるとは、、、
ただ海外での経験はとても勉強になりました。

自分はカナダでパン屋さんで働いておりました。
ですので、この仕事に就く前に海外版履歴書を書きました、いわゆるレジュメですね。

カナダでは日本と違っていわゆる履歴書のようなきちんとした書式がありません。
ですので、とにかく自分が雇ってもらえるように工夫をしなければいけません。
特に重要なのは自分のアピールです!

僕は典型的な日本人のところがあるので、手伝ってくれる方が
「坪井さんの長所ってなんですか?」
と、聞かれても
「えーーっと、そうですね、、、元気なところですかね?」
と、もう15歳の可憐な少女か!というくらいモジモジです。
髭面ですが、、、

でもそれはカナダでは全く通用しません。
超積極的に、「俺はこんなすごくていいやつなんだ、お前はこんな俺を雇わないの?いったい何なの?」
という勢いで書かなきゃいけません。
とにかく自己アピール!
僕を飾るための形容詞・副詞が英語でなかなかでなくて「俺の中の形容詞よ、全て出てこい!」と叫んでいた相談にのってくれた方の様子が今でも思い出されます。

またスウェーデンの学校の試験に出す自己PRを書くときもとても勉強になりました。
この時は僕の書いた英文をイギリスの方が見てくれました。
その中の一か所、「18歳でドラムを始めたけれど、すぐに演奏の仕事をもらうようになる」というように書いておりました。
僕は18歳で始めたという事実と、すぐに仕事をできるようになってすごいんだぞアピールのつもりでした。
何がいけないと思います?

これを英文で書いた時に僕は「始めたけれど」のところで「but」を使いました。
それを代えようと。
Butやthoughなどのネガティブワードはこういう文章の時は使わないようにするのよ、と教えてくれました。
ですので英語で「…始めた、しかしすぐに仕事…」を「…始めた、そしてすぐに仕事…」に代えました。

これらのことは僕の個人的な経験なので、その国がと一概には言えないと思いますが、とっても勉強になりました。
このように海外の自己紹介を経験することで思ったことがあります。

僕らはよく文字数を制限されてプロフィールを送ります。
ですので長いプロフィールから抽出しなければいけないんです。
そこで日本の方のプロフィールでよく目にするのが、共演履歴・有名場所での演奏履歴・何々賞受賞などです。
もちろんこれらはとてもアピールになりますし、これらを通してどんな演奏者かはうっすら分かります。
でも僕は少し思ってしまいます、「あなたはどんな人なの?」

僕の共演者でデンマーク人の音楽家がいて、必要があったのでプロフィールを送ってもらいました。
彼は日本ではほとんど無名に近いですが、なんと世界はもちろん日本の若手にも大人気のニューヨークでバリバリに活躍してるミュージシャンに雇われ、ヨーロッパツアーをしています。
前作にはその人たちと録音してます。
しかもいろんな世界的なフェスに出演しています。
しかし共演履歴やフェスの参加は書いておらず、彼はどういうことをしてきて、どういう音楽表現を現在しているかが書かれておりました。
カッコイイと思いました。

僕は昔から大学名は聞くけど、学部を聞かないのはどうしてだろうと思っていました。
「慶応すごいね」「東大、むちゃくちゃ頭いいじゃん!」
違いますよね、慶応・東大で何をしたの?
大手企業であろうがなかろうが、あなたは何をしてて何を目指してるの?
そこが重要だと思います。

僕は大学で教育学部にいたけれど、音楽家になりたくて練習ばかりで中退し、児童相談所やサポート校・地方のド田舎の医院で働いた経験で音楽の可能性に気づき、視野を広げるため海外修行に行き、帰国後ジャンルを超えた音楽を目指しながら、芸術と教育・福祉との関わりを模索しています。

これじゃだめですかね?

ネパールの光景

自分はインドも行ったのですが、その時にネパールにも行きました。
ネパールで主に行ったところは、カトマンズです。
僕は響きが楽しいので、カトマンドゥー(ドゥ―に気合を入れて発音)と呼びます。
もちろん同時に顔もカトマン・ドゥー!に応じて変化し発音します。

さて、まずネパールに着いて早速街中に出ましたが、インドよりも落ち着いており安心しました。
インドのことはまた後日書きますね。
でも驚いたのは、街中のいたるところに自動小銃?を背負った迷彩の方がいらっしゃいます。
治安はそんなに悪くないそうなのですが、やはりあの姿はドキドキしますね。

街の方々は素朴で優しい方に会うことのほうが断然多く、自分はとても過ごしやすかったです。
物売りの人もそんなにしつこい方もいなく、ありがたかったです。

ネパールで印象的だったのは、いろいろな文化が混ざっていることでした。
特にインド・中国・チベットの文化が混ざっており、とても興味深かったです。
食事もインド料理や中華料理に近いもの、またモモに代表されるチベット料理に近いものなどいろいろありました。
宗教もチベット仏教も入ってきており、ボダナートは自分にまったく馴染みがなかったので驚くことばかりでした。
ちなみにここで買った連結した小さい鐘は、とてもいい音でした。

あ、あとここにはサルがたっくさんいるのですが、人に慣れてて道端で余裕ぶっこきまくってます。
中にはサル同士が毛づくろい?してるのですが、されてるほうが仰向けになり両手両足を思いっきり投げ出してされるがままになっておりました。
僕がトルコでされた光景を思い出し、「この子ももうお嫁にいけないな」と思ったのは言うまでもありませんね。
とりあえず、心の中で手を合わせさっき買った鐘が「チーン」と鳴っておりました。

こんなネパールの旅ですが、一番印象的だったのは火葬場があるバグマティ川。
ここにはヒンドゥ教徒の寺院、パシュパティナートがあります。
僕が行った時にも川岸で火が上がっておりました。
またちょうど寺院のほうでお祭りもしてました。
そして通りにはお土産屋があります。
近くには絵で書いたようなヒンドゥ教徒姿の方がいて、シャッターをきるしぐさを僕にしてきます。
それにつられて写真を撮ったら、お金をとられます。

みなさま、この光景が分かりますでしょうか?
寺院に渡る橋があるのですが、そこから上流側に見えるすぐの建物は死が近い人の施設だそうです。
その建物からも繋がってる階段を降りた川で、子ども達が晴れ渡った空のもとで元気に声をあげ川遊びをしておりました。
そのほんのすぐの所では亡くなった方を嗚咽し泣き崩れながら、死体を川の水で清めてる方たちがいました。
そして橋より下流を見ると勢いよく火が上がってます。
その先では焼け終わり、灰を川に流しています。

かとおもいきや寺ではお祭り、老若男女の参拝人、赤ちゃんを連れた方も多くいました。
上記のように通りにはうさんくさい姿でお金をせびる人、商人、僕ら観光客、喪に入り髪の毛を剃っている最中の方などいろんな方がいます。
いろんな動物もいました。
ありとあらゆるものが、橋から300メートル行かない範囲に凝縮してました。
この光景は、何と言葉にしてよいかわかりません。

これを踏まえて、山の上から見たこの盆地の景色を思い出すと王宮とその外の、かつて海外のヒッピーもラリリながらたむろしていた広場、クマリの伝統なども併せて思い出され、非常に感慨深く思えます。
そして最後に思い出すのが、残念なことにモヤがかかりその山からは見えなかったけれど、帰りの飛行機で見れたエベレストなどの山々です。
雲の上に大きく突き出てたあの立派な姿はいつかもう一度見に行きたいと思います。

僕が行ったのはネパールの大地震の前でした。
僕は大地震後、日本で微々たる募金しかできませんでしたが、現地の方々に深い哀悼の意を表します。

ビュティホ・ネイッ!ビュティホ・ネイ!

「僕は坪井洋!お父さんが太平洋のようにってつけてくれたんです!」

これがあたしの幼稚園のころの決まり文句でした。
僕はこれを知った時から、何か分からないけど誇らしく、よく言っておりました。
なんか自慢げにいろんな人に言っていたのを思い出します。
もちろん最近では響き優先の名前も増えているようですが、日本では名前に意味を込めてつけることが多いと思います。

さて、海外に行くとちょっと苦労することが多いのが、名前を覚えることです。
やはり横文字は覚えにくい、なじみがないですから。
まだスティーブやマックスなどは覚えやすいですが、パターンが少ないので、どのスティーブってこともしばしば。
名前を覚えるのには苦労しました。

僕が海外にいて強く感じたことは、いろんな国の人が日本に比べとても多いこと。
ですので、いろんな国の方と出会いました。
みなさん、ステキな名前を持っており、たかが何文字かなのに国によって全然違い、とてもステキな響きを持っておりました。

例えば、カナダでの大家さんの名前はイースターさん。
白髪のきれいな年配の女性の方。
「なんでこの名前か知らないわ。その日に生まれたわけでもないし。でも覚えやすいでしょ!」
と、くるんくるんな目をさらにクルクルさせながら、ステキな笑顔で説明してくださいました。
明るい性格にとってもあったステキな名前だと思いました。

アントン。
なんかぽっちゃりの男の子を想像してしまいますが、はち切れんばかりの鳩胸の超マッチョの男性。
でもとっても無口で照れ屋。
そこがアントンという名前で、かわいく感じました。

スウェーデンにいたころは、学生寮にいたのもありゆっくり話せる友達もいたので、名前の話題になったことがあります。
そこで、スウェーデンの名前事情を聞きました。

まず名字の「~ソン」というのは、誰々の子どもという意味だそうです。
グスタフソンなら、グスタフさんの子ども。
スベンソンは、スベンさんの子どもといった具合です。
だから、ラーシュ・ヤンソンは、ヤンさんの子どものラーシュ君ということですね。
名字はそうやって、できていったようです。

名前はどうやって付けるの?と聞いたら、響きでつけるかな、でした。
意味はあんまり考えないことが多いかなと。
でも何かの神様の名前だったりするので、一緒に話していたレベッカとヤンマルに何かあるのと聞きました。

レベッカは20歳の、引っ込み思案だけど少しわがままな女性。
「神様の一種で、たしか牝牛だったわ」
牝牛!
かわいい女の子に牛の名前をつけちゃうとは、、、
本当か本人もあやふやでしたが、それに気づき、彼女も笑っていました。

続いてヤンマルは、22歳の男性。
男らしく、ちょっとダンディな感じの優しいやつでした。
「俺は、ヘルメットって意味らしいよ」
ヘルメット!
ザッツ・バイキーングー!
日本からすると「何があっても頭を守ってね」でしょうか?

みんなで、爆笑しました。

またこんな出会いもありました。
ベルリンにいたとき、僕のルームメイトに途中から、超オシャレでかっこいいイタリア人の建築家がやってきました。
なんと彼は貴族の家系。
おばあちゃんまでが貴族で、ウィキペディアにも出るほど有名な名家だそうです。
彼のうちは、女性が当主のようで、女性が継いでいってるようです。
なんと女性は名前も次ぐそうです。
前の代の方の名前を残しさらに名前を付けるそうです。
ようするにお母さんの名前が、山田・花子なら、その娘は山田花子・利香になるんですね。

ですのでお母さんは、むちゃくちゃ名前が長かったそうです。
結婚して、名前が一気に短くなりとってもうれしかったようです。
書類にフルネームを書くのが、相当大変だったと。

そして彼については名前のとてもステキなエピソードが。

ちなみにカナダ時代に多かったのですが、韓国の方や台湾の方は好きな愛称を自由に自分でつけてました。
「ジョイ」「マイク」「ユイ」など。
理由は、本名だと呼びにくく覚えにくいからと。
中には、君はどう見ても違うでしょ、という女の子が「エンジェル」と名付けていて、どぎまぎしたことがあります。

確かに最初に申したように異国の名前は覚えにくいというか、発音しにくいというか苦労します。
でも僕はまるっきり変えるのは少し反対で、「ヒロ」と呼んでくれと言っておりました。

ですので、同じようにイタリアの彼に「ヒロです」と言いました。
そしたら彼が、「フルネームは何というの?」と。
ですので答えたら「ヒロシ!とっても日本的なステキな響きだ!ヒロシって呼んでいいかい?」
なんか、とってもうれしかったです。
確かに少し発音しにくそうで、少し練習してましたが、僕のことをずっと「ヒロシ」と呼んでくれました。

僕が海外の人の名前にとてもステキな響きを感じるのと同じように彼も感じてるんですね。
うれしかったなあ。

僕の世代ごろから、国際化という言葉がはやり、ヨーロッパ圏の名前のような響きをつけたほうがいい、という意見もありますが、そんなことは全然考える必要はないようです。
むしろ日本的な響きのほうが、少し神秘的に感じたり好印象に傾くことが多いのではと思います。
確かに少し覚えにくいなどはありますが、そんなことより大切にするものがあるような気がします。

さあ、歌いましょう!
Every child has a beatiful name,a beautiful name,a beautiful name!
よびかっけよう、なま~えを、すばらしい、なま~えを!

ベルリンでの自主練

今回は早い更新であります!

さて、スウェーデンでもだったのですが、ベルリンでは日本のいわゆる貸スタジオみたいなのはあまりありませんでした。
どうしているかというと、基本的にみんな家で練習できたり、スタジオに使える部屋を何人かで共有して借りてたりします。
そういう物件がまあまああるので、貸しスタジオをわざわざ毎回借りてなんてしないんですね。

例えば月500ユーロの練習部屋を4人とかで借りてて、曜日や時間帯で分けて使います。
ここで、個人練習はもちろんバンドのリハなども行います。
ですので、この部屋を持っているやつ(特にドラマー)は仕事が有利になります。
だって、そいつを雇えばリハ場所も同時に確保できますし、自分がいろんなミュージシャンを呼んで交友をどんどん広げていけますから。
全員、こういう練習場所を持っているわけでないし、ドラムは置いてないことが多いので、ここも雇いのポイントになります。
僕はドラムセットもリハスタも確保できてなかったので、実際このせいでいくつかのバンドを逃しました。

さて、僕は自主練習をどうしていたかというと、まずベルリンに着いて練習パッド的なものを買いに行きました。
予想以上に高かったですね。
帰国したら自分のも持ってるし、わざわざ買うのもなぁ、と思ってたところ、ひらめきました!

別にパッドじゃなくていいじゃん!

そこで、スネアスタンドは日本にあるのはだいぶ傷んでるから、買っちゃおう。
そしてそこに板のようなものを載せて、ゴムのようなものをひけば十分じゃん!

とういうことで、さすがベルリン、大きな画材屋さんみたいなところに行ったら、いろんな板やゴム的なものが多々あります。
しかも超安い!
結局スネアスタンドとブラシの練習もできそうな滑らかな板、スティック用のための消音ゴムを買って練習道具は揃いました。

さて、あとは場所です。

僕は最初ギャラリーの一角にある四人部屋に住んでいました。
そこの敷地には大きな駐車場があったので、その角っこに行きました。
煉瓦造りの花壇が出っ張っていて、シンバルやハットの高さになります。
バッチリです!
そこで毎日練習が始まりました。

通る人は僕をよくちらちら見たりしましたが、むしろ好意的でした。
住んでる方やギャラリーの方にうるさくないかとよく質問しましたが、みんな「全然!そんなこと気にしなくていいよ」と、やさしく声をかけてくれました。

僕は毎日、そこで練習して、ジャムセッションに行って闘うという日々が続いておりましたが、12月くらいになってくるとだいぶ寒くなってきました。
そうしたら、そのギャラリーのオーナーが話しかけてくれました。

「ヒロ、とってもがんばってるね!でも寒くないかい?ちょっとついてらっしゃい。」

そこは、僕が住んでるとこの裏のビルで、絵描きの方の共有スタジオが何部屋か入ってるところでした。
そこにあるキッチンに連れてってくれ、

「ここならみんなの邪魔にならないから、練習をしていいよ。帰るときに暖房の消し忘れだけはしないようにね。」

と言って、そこでの練習を許可してくださいました!
しかもこの階に入る鍵も新たにくれました。
もう涙がちょちょぎれそうになり、うれしくて何度も何度もお礼を言いました。

それから、迷惑にならないよう気をつけながら、そこで練習したので、画家の子たちとも仲良くなり、いろんな意見交換もしました。
海外から来てる人も多かったので、いろんな話を聞けてよかったです。

ところで、その韓国系のオーナーの方は、毎月注目株の展覧会をそこで行います。
彼女は50・60代ですが展覧会では胸がガバっと開いた皮のドレスを着たりと超かっこいい破天荒そうな女性でした。
ですので、見た目はけっこう怖そうなのですが、ただものごとをはっきり言うだけで、優しい方でした。

本当に寂しくつらいこともたくさんあった海外生活は、彼女のようなステキで優しいたくさんの方々のおかげで乗り越えられました。
本当に感謝しております。

ロシアンフレンド

前にも書きましたがカナダは移民の国でした。
特にトロントは顕著で、僕は2世、ギリギリちっちゃい子で3世を見ただけで、国とは何かを改めて考えさせられました。

そこで出会った大好きな友達の話をします。

「彼」はロシアから来た超マッチョの男性で、当時の僕よりも英語ができませんでした。
マッチョ度は振り切れまくってます。
何といえばよいのか、達磨です!戦車です!
ハグをしたら、僕はペキョペキョにされちゃいそうです。
でも照れ屋で引っ込み思案のステキな青年でした。

出会いは衝撃的でした。

僕が通っている語学学校のクラスが一つ同じでしたが、ほとんど話したことはありませんでした。
しかし、2か月くらいたったある日、ちょっとしたことが起こります。

何の話からだったか、その日の話は何故かステロイドの話になりました。
先生は「ステロイドは最悪だ」みたいな話をしてみんなと討論をしてました。
その日はめずらしく「彼」が発言をしました。
「ステロイド ドント バッド」
どうやら、ステロイドは悪くないという意見を言いたいようです。
先生は驚いて質問します。
でも「彼」が話そうとするけど、上記のように英語があまりできず、要領を得ません。
先生はあの手この手を使って、「彼」が何を言いたいのかを引き出そうとするのですが、無理でした。
そして、「彼」は困ってしまい絞り出した言葉は
「ヒロシ アンダスタンド ミー、メイビー」

えーーーー!
どういうこと?あたし、ステロイド使ってそうなの?他にも日本人いるし、日本を勘違いしてるわけでもないだろうし、突然過ぎて訳が分かりません。

クラス中が驚いて「Why Hiroshi?」と先生は連呼。
僕も聞かれますが、分かりませんと言うしかなく、「彼」も説明できません。
「彼」がステロイドを他のものと勘違いしてるのか、医学的で限定的な使用の話をしたかったのかなど分かりませんが、結局「もし筋肉増強に使ってるなら絶対にやめなさい」となり、話は終わりました。
そのあと「彼」に話しかけましたが、結局真相は分かりませんでした。

しかし、そのことにより「彼」とは話すようになり、何故か「彼」は僕に絶大な信頼と好意を持ってくれてることが分かり仲良くなりました。

僕は最初の3か月はホームステイをしており、そのルームメイトの別のロシア人とスペイン人と仲良くなっていました。
その3人で飲もうとなったので、ちょうどロシア人同士だし「彼」も誘おうと話をしました。
そうして、「彼」の家で飲むことになったのですが、「彼」の家は超高層マンションの上のほうで景色はすごいし、部屋がいくつもあるし、かなり家賃が高そうでした。
みんなが、なんでこんな良いとこに住んでんだ?と聞いてもよく分かりません。
ロシア人のルームメイトもロシア語で聞くけど真相は謎でした。

ただやっぱりすごかったのは、その飲みっぷり。
ウォッカをショットで「くいっ」。
飲んでは缶詰のフルーツをばくっ、飲んではの繰り返しです。
しかもショットグラスでなく、マグカップですよ!
僕も経験だと思い、2杯やってやめたのですが、5分後小をしにトイレに行こうと思ったら、いつの間にか吐いておりました。
自分で気づかずに吐いたのは後にも先にもこれが初めてです。

後は僕を看病してくれ、帰路につきましたがずっとロシア人のルームメイトが僕の肩を支えて歩いてくれ、それがうれしくて号泣しながら(本当にワンワン声を出して)帰りました。

さて、謎な「彼」。またある日突然、僕に電話がありました。
どうやらスポーツのコンテストがあるから見に来ないかと。
車で近くまで迎えに来てくれました。
運転してるのは、「彼」のジムのトレーナーらしいのですが、見た目は特殊部隊の方です。
締まった体で目が鋭すぎます。
もちろん「彼」はすっごい良いやつだとは思っていますが、さすがに筋肉達磨と特殊部隊員の車に連れ込まれ、知らない言葉が飛び交うと不安を感じました。

しかし現場に着くとそこは体育館。
バーベル挙げの会場で、「彼」が出場します。
僕は初めてバーベル挙げを見ましたが、感動しました。
いつもやさしい顔をしている「彼」が、真剣に自分のギリギリと勝負してました。
トレーナーも真剣にアドバイスを送り、一緒に戦っておりました。
持ち上げようとする一瞬に今までのすべてが凝縮されており、本当に素晴らしいものを見せてもらいました。

結局、僕らの英語力では意思疎通があまりできませんでしたが、特殊な仕事をしていた関係もあり、自暴自棄になり自分のエイズの血をいれたコップを片手に持った人を説得した話、ロシアではジムが異性との出会いの場になっている話など、ロシア人のルームメイトの通訳も交え聞いたり、本当にいろいろな貴重な経験をさせてくれ、つらいカナダ時代の支えになってくれました。
言葉の壁があり、友達がいなかった「彼」がなぜ「ヒロシ アンダスタンド ミー、メイビー」と言ってくれたのか未だに謎ですが、何故かとってもうれしかった思い出の一つです。

当時はFacebookなどもしていなかったので、もう会えることはないでしょうが、ムキムキな巨人が言いたいことが言えず困ったときの表情はやさしさにもあふれ、今でもよく思い出されます。

お頭、お毛々

ちょっと忙しくて投稿が空いてしまいました。

さて、自分は現在天然パーマで髪の毛くるんくるん。
Tre fargerのジャケ写を撮るときには美容師の方がそれを活かしてくださり、「別人じゃん!」と言われるくらい大好評を得ました。

僕は、もともと美容院というのは苦手で、あんなオシャレ人間が行くところに自分が行っていいのかとドキドキします。
また髪の毛を洗ってもらってる最中は鼻息が荒くなってフンフンなっちゃってないかなど心配でドキドキします。

ですので、髪の毛は自分でするもしくは何もしないできました。
学生時代は6年くらい丸刈りで、自分でバリカンで刈っておりました。
友達も物珍しがって、刈ってくれたりもしましたが大体途中で飽きて虎刈り状態でやめられることも多々ありました。
その後は伸ばしほうだいでロンゲとなりました。

そして海外に住むことを決めて考え込みました。
髪の毛、どうしようと。
日本でさえ髪の毛を切りに行くのが苦手なのに、海外でなんて、、、と震えあがりました。
ですので、選択肢は2択です。
丸刈りかロンゲです。

住むのはカナダやスウェーデンなど寒いところに行くので、丸刈りだと頭皮が凍ると思い、ロンゲを選択しました。
これは正解で、-10度を超えると寒いを通り越してつらいになります。
頭皮はブリーチした時みたいに毛穴一本一本に刺さるような痛みを感じるので大変です。

ただ、ロンゲになると困ることがあります。
今まで気にならなかった抜け毛がむちゃくちゃ気になりだします。
一本一本の抜け毛の存在感が増すので、今まで目につかなかった抜け毛たちの「自分はここでお別れっす!」という声が増し、とっても心配になります。

海外ではシェアハウスに住むので、シャワーも共同です。
ですので自分が浴びたあとに抜け毛が残らないようかなり気を使いました。
そのたびにその多さにドキドキしてました。

僕は基本的に結んでおりました。
そしたら、よくそれは「侍スタイルか?」などと聞かれることも多々ありました。
けっこう好評でした。

でも日本では長いのは不便さが増しますね。
まずロンゲはダメな髪形となっておりますし、むさくるしいと不評が多いですね。
あと暑いのが最悪です。
ですので、帰国してからは今所属しているバンドのためにも美容院に行っておまかせにしております。
整髪料というのも使い何とか見た目を爽やかにしようとしておりますが、いかんせんこの持って生まれた濃ゆい顔のせいもあり失敗に終わっております。

そういえば、僕は小学校の高学年まで天パじゃなかったんです!
当時中学校に入ったら丸刈りにしないといけなかったので、その前にならすためにも丸刈りにしてみようとしてみたら生え変わったせいなのか天パになっちゃいました。
しかも中学は結局私立に行ったので、丸刈りにする必要はなかったですね。
最近なんて、後ろ髪がクルクル外にはねててそれを見た母親が「お前はサリーちゃんのパパか?」と苦言を漏らしておりました。

ああ、顔も生え変わって爽やかにならないですかね、、、

実際に食べてたもの

家族に残飯処理班と呼ばれてる坪井です!
時には「今日は洋がいるから大丈夫!いろいろ頼んで、食べれなかったら洋に、、、」と、言われることもしばしば。

こう書くと、僕が単なる大食いで、味に興味がなく腹が満たせればいいやつ、みたいに思うかもしれませんが、そんなことはないんですよ。
ただ食を楽しむスイッチを切ることが可能です。
少しの栄養への配慮と腹満たしモードに切り替えることができます。
海外には、武者修行のつもりでしたので、安く手間のかからない食事を心がけておりました。
レストランなんて行く意味は、修行中の身には全くないです。

ですので、家での食事はパスタとサンドイッチです。
パスタは瓶詰ソースがあるのでそれか、オリーブオイルが安いので野菜を適当に入れて軽い塩コショウです。
サンドイッチは、食パン系を買って、ハムに野菜で十分です。
野菜とハムしかほぼ買ってませんでした。
これを基本に米(長粒米)や卵など買ったりくらいですね。
家ではこんな感じですが、各国で助かった外食があります。

カナダでは、ホットドッグです。
道端で売ってるやつは1、2ドルですよ。
僕には一つじゃギリ足りないくらいですが、結構大きいです。
玉ねぎのみじん切りやピクルスなどが置いてあるので、自分でのせるだけです。

ただ飽きます。
寒さ、英語上達の焦り、音楽の話の広がりの無さなどあいまって、毎日ホットドッグですましてる自分がみじめに思えてくること間違いなしです!

そこで救ってくれるのが、Subway!
日本では一回しか行ったことなかったです。
日本では「これください」で、商品が出てこないことが恐怖でしたし、なんかシステムや雰囲気がハイカラだわ!と敬遠してました。

修行の身はそんな贅沢を言ってられません!
ホットドッグに比べれば値が張りますが、野菜の豊富さ、そして量も日によっては一本を2食にできる満足感、ソースのリッチさ。
みじめな僕をとっても救ってくれたものでした。

スウェーデンでもSubwayは重宝し、ジャムセッションの帰りのバスを待ってる間によく食べました。
お店で僕が英語で頼むのが分かると会計の方に「エンゲルスカ!」と言ってたのを思い出します。
英語の客よ、ってことですね。
あとは、ちょっとした売店に売ってある菓子パンも量が多く、夕方には半額なったりしたのを買って、満たしておりました。
あ、ピザも安く、時々食べてましたね。

ですのでベルリンでもSubwayがあれば生きてけるから大丈夫!と思っておりましたが、実際は一回しか行きませんでした。
何故かと申しますと、ケバブの素晴らしさがSubwayをはるかに上回りました。
まず、ケバブ先生は、安い!量が多い!野菜が豊富!
ソースも大体3種類くらいあるので、飽きがきにくい。
しかもアツアツです。
あと売ってる人が感じいいことが多い、バイトじゃないからでしょう。

ケバブ隊長は、店によってけっこう違いがあり、値段も2ユーロを基準に少し上下します。
幸い自分の最初の家の近くにとてもいいところがあって、かなり食べました。
ラップサンドみたいなのもあって、それは結局名前が分からず、そっちをたのむことは少なかったです。
ファラッフェル(野菜揚げ団子)を挟んだのも良いですが、なんてたってケバブ大師匠の脂のリッチ感・ジャンク感は最高でした。

ベルリンで途中に引っ越したとってもステキな家の同居者が、家の近くの安いピザレストランを教えてくれて、そこは2ユーロからホールピザがあり、ビールとピザを食べながら日本から持ってきた本を読んだりしてました。
ケバブ君は、落ち着いたお店はあまりないので、そう言う楽しみはこのピザ屋でした。
ケバブとこのピザ屋、この2つで安くリッチな外食は十分でした。

ホットドッグを噛みしめながら、この先どうしようと悩んでたのが懐かしいです。

英語の発音

やっとブログを更新できます、、、よかった。

さて、英語のことを書いてみようかと思います。

自分はスウェーデンの学校に応募するのに時間があったので、待っている間に英語の勉強も兼ねてカナダにワーホリで行きました。
ですので、最初の3か月は語学学校に通いました。

英語の発音で有名なのはLとRの発音ですよね。
RiceとLiceの笑い話はよく聞きます。

向こうで聞いて、なるほどと思ったのは、カルピスの話です。
Calpisですね。
この場合のLの発音は「る」というより、「う」の発音に近いんですね。
ですので、「カウピス」に近くなります。
これで気づく方いるかな?
要するに「Cow-piss」に聞こえるんです。
牛のおしっこです。
ですので、カナダではCalpico、カルピコです。

Lの発音はこれで、ラ行とはかけ離れてることを理解しました。

あとは、第2言語が英語の人と話してるとよく話題になるのが、canとcan’t。
どっち?って聞かれます。
tの音を聞き落としやすく、確認をするんですね。
ただ母国語が英語の人に言わせると、ネガティブワードは強制を置くので、そこが重要だと。

あと、まったく知らなくて驚いたのはc・sとshの発音。
全然違うんです!
Cityは「スィティー」であり、「シティー」ではないんです。
僕らのよく使う「シ」だとshの音に聞こえ、例えば「ナゴヤ・シティー」は「Nagoya shitty」になり、「くそったれ名古屋は、、、」みたいになっちゃいます。
CDも「シーディー」だと同じように「Shitty」に聞こえることが多々。
間違いが極悪な方にいってしまうんですね。
普通は「Have a seat」などを使いますが、よく日本人が使うシットダウン・プリーズをステキな異性にカッコつけて席を譲ったらたいへん!
このことをネイティブに聞いたら相当笑ってました、状況を想像するといろいろ意味が分からなすぎると、、、

あと、マクドナルドの日本人の言い方はむちゃくちゃおもしろいらしく、バカウケでした。
スウェーデン時代にスマホを持ってて、音声認識機能があったので、試してみました。
どんなに一音一音の発音を気をつけて日本語の音の流れ・アクセントで言っても認識しません。
でも英語風に「マクド~ナルド」の流れでアクセントを一緒に「ふふふ~ふふ」というと候補に挙がるんですね。
これは、「マ」なのか「ふ」なのか?の一音一音より、流れが重要なんですね。
canとcan’tの話につながりますね。

ですので、恥ずかしがらず流れを真似することが重要でした。

ナイアガラに行くとき「ナイアガラに行くけど滝もだけど、カジノに行ったことないから、楽しみなんだ」と大家に伝えたら、全然伝わらず、「カジノ、カジノ」と連呼しても通じません。
僕はメーカーの「カシオ」みたいな「カ」にアクセントを置いて言ってたんです。
そして分からなかったんで、スロットのマネやポーカーのことを言ったら大家が英語のトマトの「ト~メィ~ト~」と同じ流れで「カ~ズィ~ノ~!」と。
「いやいや、ナイアガラには滝とカジノくらいしかないし、『カ』と『ジ』と『ノ』のつく行くとこってわかるでしょ!」と思いましたが、違うんですね。
本当に言語って面白いです、感覚が全く違うんです。

まだ英語のことでもいろいろありますが、また語学系は書きますね。
次書くときはスウェーデン語かな、、、

トルコの思い出

いろいろ外国に行っておりますが、今回はトルコのことを書きます。

僕は千葉大を中退して、通信制サポート校の音楽講師になりました。
このころが一番、どうしていこうと苦しんでいた時です。
当時、僕が大好きな方々(この方々のジャムセッションなんてなかったっす)に何とか食い込みたいけど、どうやったら食い込めるのだろう?と四苦八苦しており、演奏の仕事もそこそこで傍から見たら、何をしたいんだろう?という感じだったかもしれません。

もちろん、このころすでに北欧に行くために準備をするということは決めてましたし、教育界に入っていきたい、いろんなミュージシャンと演奏したい、しかしいったいどうすればよいのだろう?と苦しんでおりました。

そういう状況なので、母や姉が見かねたのでしょう、母が「洋を外に連れていきなさい」と、仕事の関係も含めて海外に慣れている姉に言い、ボディーガードということで、姉のトルコ旅行についていくことになりました。
これが、海外の経験が増えていく最初でした。

いちおうツアーということですので、基本ガイドさんに各箇所に連れていってもらう初心者向けのものです。
ここで、経験したことがその後の海外での楽しみ方などに大きく影響しているのは間違いないです。

まず驚いたのは、姉がついた最初のホテルで、近くにスーパーがあるから行こうと言いだしました。
僕は何でと思いましたが、行ったらよく分かりました。
向こうの”普通”が、売ってるもの・訪れてる人、などで垣間見えるんですね。
「姉ちゃん、なにこれ?すごくない?」
と楽しみまくってました。

バスで移動しまくりでしたが、行くとこ行くとこの大自然・建築物などどれもスケールが大きく素晴らしかったですね。
ただ食事がかなりつらかったですね、僕は食事の我慢の幅が広いはずなのですが。

トルコは日本で世界三大料理の一つなんて言われてますが、現地ガイドさんは種類が多いからじゃない?などと言ってました。
僕はケバブのイメージでしたので、漫画のジョジョ3部(これはたしかアラブ辺りですが)で見たクルクル回るお肉を見たい食べたいと興奮してました。

しかし出てくるのは、豆料理ばっかり!
あと生野菜がない!

これは、ツアーでしたから食べるとこやメニューがほとんど決まってました。
生野菜が食べれないつらさを知ったのはこの時が初めてでした。
一度、ホテルバイキングで人参の千切りがあった時には、それを食べまくりました。

もうツアー会社のいじわるかと思うほど、豆ばかりです。
豆の煮たり焼いたりはもちろん、すりおろしてスープにしたもの、はたまたデザートまで豆が出てくる始末。
残すのが嫌いな自分もさすがに最後らへんは、残してしまうこともありました。
一度、焼き魚が出たときはうれしくてばっちり食べたら、他のツアーのおばさまたちに「まあ、きれいに食べて!育ちがいいのね、おほほ!」と言われてしまいました。

ツアーですので少し高級だからなのか、まめの工夫がこれでもかとされ、いろんな攻められ方をしました。
B級グルメのほうが、百億倍うまそうでしたよ。
ケバブは肉に生野菜ですよ、最高でしょ!
でもやっと食べれたのは、最後のイスタンブールのバザールで自由行動になった時だけでした。
本当にうまかったなあ。

でもお茶は最高でした。
入れ物も小さいくびれたガラスで、かわいいですし、紅茶に砂糖を入れて飲むのにはまりました。
泥コーヒーと呼ばれるものも有名でしたが、口にする機会がありませんでした。

他に洞窟のレストランで観て聴いたベリーダンスもすばらしかったですし、いろいろありますが、やはり僕はハマムのことを書きたいです。
トルコ風呂ですね。
これは別に風俗店でなく、垢すりとアワアワに包まれるのが特徴的な、風呂というより、サウナとマッサージに近いと思います。
姉はこれが一番の目的でしたので、絶対行く!とようやく時間があったホテルのハマムに僕を連れていきました。

実は僕は年配の方が多いツアー参加者の中に一人、ステキだなって思う若い女性がいました。
母親と来ており、静かなやさしそうな女性でした。
別にどうとはしたりしないですが、そう思っていただけです。

で、姉とハマムと行くことになり、大ハリキリの姉は、「やらなきゃトルコに来た意味がない!」と僕のマッサージ料金も出してくれました。
混浴で水着で入るしか前情報がなかったのですが、行ってびっくり、ちょっと高級そうな大理石造りで、中央に少し高くなったステージのようなものがあります。
「うわー、すごいなあ」と思ってみていると、僕らが呼ばれました。
なんとそのステージの上で、垢すりなどを受けるのです。

他の方は周りでくつろいでいたりします。
奥の部屋に行くにもここを必ず通らなきゃいけません。

もうこれは、見世物ですよ!
しかも造りが少し高級な大理石とかなので、より一層それっぽい!
毛深く男らしい男性が僕をアワアワにし、一生懸命こすってくれます。
大理石もあったかいですし、アワもフワフワです。
でも僕は、ずっと
「姉ちゃん、どういうこと?どうなってるの?」
と震えながら、ずっと呟き、されるがままでした。

筋を伸ばしてくれてるのでしょう、いろんな体勢もさせられます。
背中を床に着け、足を持たれ「つ」の字(膝を頭のほうにつける体勢)にさせられたときは、もう自分は周りにいったい何を見せてるのか、自分が男なのか女なのかも分かりませんでした。
ただただ辱めを受けただけのようでした。

アワが流され、ふと顔をあげるとそこにはそのステキな女性親子がいました。
お母さんのほうが「しなくてよかったわぁ」と言っておりました。
ステキな娘さんは、見ちゃいけないと思ったのか僕と目があった瞬間、目をそらしてくださいました。

これが、僕の「もう、お嫁にいけない」シリーズの最後と思います。
ステージの上で、アワアワになり、毛深い男前になすがままにされ、それをステキと思っていた人にみられる、、、
僕はこの先、結婚できるのでしょうか、、、

以上、トルコの思い出でした。