受験勉強(中学入試)

ちょっと受験のことを書きたいと思います。

僕は中学受験をしております。
小学校の5年生から、大手の塾に通うようになりました。
これは別に受験するためとかでなく、家族同士で仲のよかった子が通ってたので一緒に通う?とむしろ付き合いでとその子との行き帰りを楽しむものでした。
ですので、塾で出る宿題はもちろん勉強はほとんどやったことがありませんでした。

その友達たちは結構勉強をしていたようで、かなり成績がよく塾でもトップのクラス、全国の模試でも名前があがるような子でした。
僕はもちろん最下位のクラスで、帰り道に当時引退した千代の富士の記者会見のモノマネをしたりして騒ぐのが楽しかったです。

そして小学6年生になると中学をどうするかという話になってきます。
模試では毎回第3希望くらいまで、志望校を書くのですが他県の進学校は全く無理の判定でしたし、大分の私立もがんばれば可能性があるかもくらいの判定でしたので、まったく考えておりませんでした。

当時、別府の公立中学校は男子は丸刈りでしたので、一度試しに丸刈りにしてみようと思い、早くも丸刈りをしてしまうほど公立に行く準備は万端でした。
このあと、あたしの天パは出現しだします。

しかし、6年生の秋に事件が起きます。

秋に遠足ということで、山登りに行きました。
そこには隣の小学校も来ておりました。
そしたら、何やら女の子たちが隣の小学校の子にバカにされたと話を聞きました。
当時、粋がっていた僕は「なにー!」とちょっかいかけてきたやつらのところに文句を言いに行きます。
すると話が大きくなり、「文句があるなら放課後かかってこいや」ということになりました。
そこで、僕らは遠足が終わった後に殴り込みに行くことになりました。

向こうは実際にくるとは思ってなかったようで、びっくりしてました。
向こうは仲間を連れてくるから待っとけと言い、待っていたらリーダー格がやってきました。
先生も一緒にきました。
そして、先生の仲裁のおかげでその場は収まりました。
しかし、リーダー格の子は僕に目を付け、僕とやりあいたいと息巻いており、あたしもかかってこいやとなっており、そこだけはうやむやになって終わりました。

この事件自体は大きなものではないのですが、実はこのリーダー格の子が問題でした。
この子の姉は、暴走族に入っており僕がいく中学でかなり幅を利かせていることを後で聞きます。
僕に目をつけているリーダー格の子ともその姉とも同じ中学になってしまいます。
危険です!
それもあってか、同じ小学校の同級生ともそのころくらいからうまくいかないようになってました。
塾に通う時の友達との方が仲良くなっていきました。
冬休みが終わったころには、大分の私立に行きたいなと思うようになっておりました。

親はまさか僕が私立に行きたいなんて思ってなかったので、びっくり!
「どんだけお金がかかると思ってるの!」です。
しかし、とりあえず受けてから考えようとなり、受験対策を始めます。

さて、大分の当時唯一の私立を受験することになりました。
しかし、何をしていいか分からずとりあえず過去問を買いました。
それが試験の一週間前、、、

普通、過去問は解くものというより、傾向を知りどのような勉強をすればよいかを知るものです。
しかし、まったくわからない僕はとりあえず解きます。
算数で、分からない問題があり、父に相談したら小学生特有の問題過ぎて、父もうまい解き方が分からない。
そこで、僕らはタッグを組み一週間かけてその問題に取り組みました!
何とも意味のない受験勉強はそうして終わりました。
でも父とのいい思い出は残りました!

けっきょく試験はあまりできなかったですが、塾などで聞いたことのあるものもあったので何とか解きました。
社会の問題で「この道路は国道何号線か?」という問題なんて、名前のついてる道路はジュウゴウセン、しか知らなかったので書いたら合ってたとかいうレベルです。

そしたら奇跡的に補欠30番に入りました!
もともと倍率が低かったのもありますし、付属中に人が流れたのもあり奇跡が起こりました。
しかし、何とか補欠に入りました。

補欠の有効期間は2週間で、それまでに連絡がなければ落ちたということでした。

しかし、期限最終日にとうとう連絡がきました!
もうそのころには親は覚悟しててくれており、即支払いをし岩田学園に入学することになりました。

坪井の中学の危機は、こうして逃れることになりました。
公立に行ってたらどうなってたでしょうね、ボコられて悲惨な中学生活か奮闘して悪街道まっしぐらしか思いつかなかったです。

ちなみに入学式の日に今年は補欠30番までとりましたと聞きました!
ああ、10号線を思いつかなかったら落ちていたでしょう。
ありがとう10号線!他に246号線や16号線などいっぱいなくてよかった!

しかし、このあと僕が奮起して成績を上げていくのかというと全く逆です!
素行も悪くなり、親が毎月呼び出される2年間もあります。
この前、親に改めて言いましたが、よく見捨てず最後まで向き合ってくれたと、、、

ここら辺は次回の受験(大学入試)で少し触れますね。
本当はそれを今の受験生に見てもらいたいために恥を忍んで書きました。
ああ、情けない、、、

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修行

さて、前にも書きましたが僕がプロの音楽家になりたいと志したのは中学生の時です。
でも当時、素行も悪かった僕はドラムをすることは許されず、日々音楽を聴きまくりながらドラムの音をひたすら口ずさむなど、楽器を使わない音楽修行を行っておりました。

傍から見ると変態ですよね!
当時はTOTOのジェフ・ポーカロが大好きで、ロザーナなどを主旋律でなく打楽器だけをブツブツ言ってました。
自転車に乗りながら「タカドジーン、ドパン、ドドッ、ドッドパン」
電車を待ってても「チパチ、チパチパン、チパチ、チパチ、チパチパン」
と、唱え続けてます。
四六時中、音楽を聴いてやっていたので当時家族はどう思っていたんでしょう?

また、音楽の修行だけでありません!
音楽を目指すということは、「貧乏でつらい時期も乗り越えなければならない!」と妄想していた僕はその来たる日のための修行も開始します。

僕の部屋は板張りのフローリングで、寝るのはベッドでした。
修行を思いつきました。
住む家もなくなり、道端で寝なければいけないこともあるかもしれない!
そう叫んだ少年は、ペラッペラのゴザをどこかから探し出して、床に敷き、それで毎日寝るという修行を始めます。
しばらくし、「これでどこでも寝れる」と自信をつかんだ少年は、ベッドに戻り、そのフワフワさに酔って気持ち悪くなるという、さらに上の世界へステップアップできました。

ご飯しか手に入らなかったという貧乏エピソードを聞いたら、親がいないときには毎回チャーハン(具無し)を作って食事をすます修行など、他に直すべきところがたくさんあるのに、甘ったれは適当なことを真剣にやってました。

大学に入ってもその要素は残っており、いろいろやっております。
今も残ってる部分がちらほら。
そんなことをせずにスティック握っとけよということなのですが、思春期のエネルギーは、必ずしもまっすぐ飛ぶわけではないようですね。