トルコの思い出

いろいろ外国に行っておりますが、今回はトルコのことを書きます。

僕は千葉大を中退して、通信制サポート校の音楽講師になりました。
このころが一番、どうしていこうと苦しんでいた時です。
当時、僕が大好きな方々(この方々のジャムセッションなんてなかったっす)に何とか食い込みたいけど、どうやったら食い込めるのだろう?と四苦八苦しており、演奏の仕事もそこそこで傍から見たら、何をしたいんだろう?という感じだったかもしれません。

もちろん、このころすでに北欧に行くために準備をするということは決めてましたし、教育界に入っていきたい、いろんなミュージシャンと演奏したい、しかしいったいどうすればよいのだろう?と苦しんでおりました。

そういう状況なので、母や姉が見かねたのでしょう、母が「洋を外に連れていきなさい」と、仕事の関係も含めて海外に慣れている姉に言い、ボディーガードということで、姉のトルコ旅行についていくことになりました。
これが、海外の経験が増えていく最初でした。

いちおうツアーということですので、基本ガイドさんに各箇所に連れていってもらう初心者向けのものです。
ここで、経験したことがその後の海外での楽しみ方などに大きく影響しているのは間違いないです。

まず驚いたのは、姉がついた最初のホテルで、近くにスーパーがあるから行こうと言いだしました。
僕は何でと思いましたが、行ったらよく分かりました。
向こうの”普通”が、売ってるもの・訪れてる人、などで垣間見えるんですね。
「姉ちゃん、なにこれ?すごくない?」
と楽しみまくってました。

バスで移動しまくりでしたが、行くとこ行くとこの大自然・建築物などどれもスケールが大きく素晴らしかったですね。
ただ食事がかなりつらかったですね、僕は食事の我慢の幅が広いはずなのですが。

トルコは日本で世界三大料理の一つなんて言われてますが、現地ガイドさんは種類が多いからじゃない?などと言ってました。
僕はケバブのイメージでしたので、漫画のジョジョ3部(これはたしかアラブ辺りですが)で見たクルクル回るお肉を見たい食べたいと興奮してました。

しかし出てくるのは、豆料理ばっかり!
あと生野菜がない!

これは、ツアーでしたから食べるとこやメニューがほとんど決まってました。
生野菜が食べれないつらさを知ったのはこの時が初めてでした。
一度、ホテルバイキングで人参の千切りがあった時には、それを食べまくりました。

もうツアー会社のいじわるかと思うほど、豆ばかりです。
豆の煮たり焼いたりはもちろん、すりおろしてスープにしたもの、はたまたデザートまで豆が出てくる始末。
残すのが嫌いな自分もさすがに最後らへんは、残してしまうこともありました。
一度、焼き魚が出たときはうれしくてばっちり食べたら、他のツアーのおばさまたちに「まあ、きれいに食べて!育ちがいいのね、おほほ!」と言われてしまいました。

ツアーですので少し高級だからなのか、まめの工夫がこれでもかとされ、いろんな攻められ方をしました。
B級グルメのほうが、百億倍うまそうでしたよ。
ケバブは肉に生野菜ですよ、最高でしょ!
でもやっと食べれたのは、最後のイスタンブールのバザールで自由行動になった時だけでした。
本当にうまかったなあ。

でもお茶は最高でした。
入れ物も小さいくびれたガラスで、かわいいですし、紅茶に砂糖を入れて飲むのにはまりました。
泥コーヒーと呼ばれるものも有名でしたが、口にする機会がありませんでした。

他に洞窟のレストランで観て聴いたベリーダンスもすばらしかったですし、いろいろありますが、やはり僕はハマムのことを書きたいです。
トルコ風呂ですね。
これは別に風俗店でなく、垢すりとアワアワに包まれるのが特徴的な、風呂というより、サウナとマッサージに近いと思います。
姉はこれが一番の目的でしたので、絶対行く!とようやく時間があったホテルのハマムに僕を連れていきました。

実は僕は年配の方が多いツアー参加者の中に一人、ステキだなって思う若い女性がいました。
母親と来ており、静かなやさしそうな女性でした。
別にどうとはしたりしないですが、そう思っていただけです。

で、姉とハマムと行くことになり、大ハリキリの姉は、「やらなきゃトルコに来た意味がない!」と僕のマッサージ料金も出してくれました。
混浴で水着で入るしか前情報がなかったのですが、行ってびっくり、ちょっと高級そうな大理石造りで、中央に少し高くなったステージのようなものがあります。
「うわー、すごいなあ」と思ってみていると、僕らが呼ばれました。
なんとそのステージの上で、垢すりなどを受けるのです。

他の方は周りでくつろいでいたりします。
奥の部屋に行くにもここを必ず通らなきゃいけません。

もうこれは、見世物ですよ!
しかも造りが少し高級な大理石とかなので、より一層それっぽい!
毛深く男らしい男性が僕をアワアワにし、一生懸命こすってくれます。
大理石もあったかいですし、アワもフワフワです。
でも僕は、ずっと
「姉ちゃん、どういうこと?どうなってるの?」
と震えながら、ずっと呟き、されるがままでした。

筋を伸ばしてくれてるのでしょう、いろんな体勢もさせられます。
背中を床に着け、足を持たれ「つ」の字(膝を頭のほうにつける体勢)にさせられたときは、もう自分は周りにいったい何を見せてるのか、自分が男なのか女なのかも分かりませんでした。
ただただ辱めを受けただけのようでした。

アワが流され、ふと顔をあげるとそこにはそのステキな女性親子がいました。
お母さんのほうが「しなくてよかったわぁ」と言っておりました。
ステキな娘さんは、見ちゃいけないと思ったのか僕と目があった瞬間、目をそらしてくださいました。

これが、僕の「もう、お嫁にいけない」シリーズの最後と思います。
ステージの上で、アワアワになり、毛深い男前になすがままにされ、それをステキと思っていた人にみられる、、、
僕はこの先、結婚できるのでしょうか、、、

以上、トルコの思い出でした。

歌詞について

僕は器楽奏者だからなのか、前から歌詞は意味として入ってくるより音として入ってくることが多いです。

例えば最近で言えば、アナと雪の女王のLet it go。
この作品の翻訳は、映像の口の動きをかなり意識されてつくられたそうですが、そのためなのか、いい例をくれるので、僕の感覚がどういうもの説明します。

「Let it go~」の部分。日本語では「ありの~、ままの~」ですね。
これからつながる一節だけとれば、大正・昭和のすばらしい詩人、金子みすずさんもすでに詠まれてる「みんなちがって、みんないい」につながる、ステキな価値観だと思います。

でも音は僕にはちょっとつらいです。
特に「ままの~」部分。
僕は「まま」を「の」の部分に向かう装飾音的に歌うほうが、かっこいいメロディと思うのですが、この歌詞だとどうしても「まま」の母音を強くはっきり歌ってしまい、「ド、ド、ド~ン」と三連打になり、ダサく感じてしまいます。
しかも「ま」は口を閉じてから発音するので、最悪です。しかも二連打。

まあ、細かく言うともっとありますが、要するに僕にとって歌は「響き」がかなり重要ということです、文字を読んでるわけでないので。
日本では一般的にはいい歌詞とは、いい内容の歌詞ということのほうが、重きになってることが多いですね。
ひどいのだと「歌がないから、意味が分からない」などとインストでやってると言われることもあるくらいですし。

このように僕は歌詞も音と聴いていることが多く、あまり意味が入ってこないことも多々あります。

しかし、しかしですよ。
僕も響きだけを大事にしてるわけではありません。
意味がメロディと合わさり、強烈になって心に入ってくるものは最強と思います。

例えば最近の自分のテーマソング「ファイト」。
中島みゆきさんのライブの映像のは強力でしたね。
特に強烈に感じるのは「たたかう、きみのうたを~」のところは強烈です。
がちこーんっと入ってきて、その言葉から生じる情景が一気に広がり、号泣でした。
いろいろな場面で、この節がパッと流れ、力をくださいます。

僕にとってこの曲は自然に歌詞が流れてくる名曲です。

いろいろ書きましたが、歌詞は上記だけでは表せないいろんな側面も孕んでいますね。
歌詞って不思議です。

ちなみに僕が海外にいるときは、「走れ、コウタロー」がテーマソングでした。
この曲は、ダービー出場の無印のコウタローは、スタートダッシュで出遅れますが、本命・穴馬をかき分け、追いつき追い越し、騎手を振り落し、ぶっちぎっていく、という歌詞です。

僕は18歳でようやくドラムをしっかり始めスタートダッシュが出遅れます。
同期や後輩はガンガンに先を行っちゃってました。
そのうえ、30歳から海外修行に行くという出遅れです。

もともとジャムセッションが苦手な僕は、海外で行くときは毎回いろんな理由を自分につけて何とか、見つけられる限り行ってました。
しかし、やっぱりセッションではいろいろなことが起き、悔しい思いをして帰ることも多々ありました。
そういうときにこの曲を歌いながら、「いつかぶち抜いていってやる」と自分の弱さにむち打ち帰っておりました。

セッションで悔しい思いで帰ってた時、たまたまIpodに入っていたこの歌が流れ、号泣しながら歌った景色は忘れられないですね。
スウェーデンの冬の田舎の坂道、そこを号泣しながら「走れコウタロー」を歌い、のぼっていく日本人。
その絵は、僕にはオツなものに思えます。

僕はまだダービーの最中です。

僕が教育・福祉施設で演奏をする経緯~これから~

僕は一年位前まで、カナダ・スウェーンデン・ドイツにいました。

僕が海外生活の中心にスウェーデンを選んだ理由の一つは、福祉大国と呼ばれてる国の実際はどうなのかを見たいっていうものです。
そして前回書いたように、ちゃんとしたミュージシャンが学校で授業をするという目標をミュージシャンとして実現させていくためには、海外でも修業をしたかったのです。

前にも書いたので詳しくは書きませんが、海外生活で本当にいいなと思ったのは、音楽はもちろん芸術が身近で、敬意が払われており、国によって守られてる部分も多くある点です。
特にスウェーデンでは、学校教育の現場に芸術家(以外にもいろんな専門家に入ってほしい)が入ることにより、そのものの理解を深め、それが身近にもなり、あらゆる視野が広がる一助になり、その分野の保護にも繋がっておりました。

日本では学習指導要領だと、いろんな音楽をふれさせる、とか載っております。
しかし例えば、クラシックを中心に学んできた学校の先生が、ジャズを教えられない人がほとんどでしょうし、知ってる風に思って日本人だけの勝手なイメージを植え付けられては非常に僕らにとって困ります。
先生は教育の専門家ですから、やりっぱなしにならないように専門家と子ども達を繋ぐ重要な役割を担ってほしい。
ですので、専門家が教育現場に入っていくという活動はガンガン進めていきたいです。

ところで、僕が帰国した後、大きな出会いがありました。
「心魂プロジェクト」という団体さんです。

僕が前述の「もじゃけん」時代から付き合いがあり、「かつどう広場」の一員でもあった、保育士の小野澤さんから、帰国後すぐに連絡がありました。
一つは重症心身障がい者病棟で、ステキなランチ会をするため、バックミュージックでステキな空間を作ってくれないかと。
これは、喜んでしました。
もう一つは、元劇団四季の方などが中心に立ち上げたばかりの団体が今度病院で演奏するから、来ないかと。
僕は、その団体の方がどうというよりも、患者さんの反応をゆっくり見る機会は今まであまりなかったので、それを見るいい機会でもあるから行こうと思いました。

しかし、実際心魂プロジェクトさんを見てびっくり!すばらしいパフォーマーの方々で、ちゃんとしたプロのミュージカルでした。
正直、こんなレベルの人が病院にいらっしゃるとは思いませんでした。
その後、小野澤さんの力もあり、僕は心魂プロジェクトさんとコラボなども実現し、関係を強くさせてもらってます。

ようするにどういうことかというと、すでに病院という現場では、ちゃんとしたプロによるパフォーマンスが行われており、現場の保育士の方々などと力を合わせ、現場に必要な力をいれるということが起きております。
ご家族・保育士・指導員の方など、この活動を通じていろんな発見をしており、現場の活気も変わってきているようです。
もうすでに病院では、僕の目標とする、一流のパフォーマーが施設に訪れ現場の方と力を合わせ作り上げていく。
そして身近なものになっていく、ということが行われております。

あとは、教育の現場でもつくっていこうという教育者側の人が現れてくれればいいだけですね。
そのためにぐいぐい進めていきたく思ってます。

ですので、これからも音楽家として精進を続けながら、出会いを広げ、教育・福祉施設にアプローチをしていきたいと思います。

例えば想像します。

「おかあさぁぁん!今日も学校にすごい人きたよ!ジャズって知らなかったなぁ、おもしろいなぁ。音楽って色々あるね」
とか
「なんか、今日のジャズとかいう人たち、ヤバくね。なんか分かんないけど、アドリブらしいよ。ウケんだけどーー!」

などの会話が全国で行われるようにならないかなと。
もちろん、ジャズだけでなく、、、

僕が教育・福祉施設で演奏する経緯~過去の活動~

演奏だけでなく、いろいろしました。

前回書いた「もじゃけん」での活動は、保育所を中心に養護施設・老人ホーム・病院・学校などいろいろです。
中学校では授業形式で行い、その学校の校歌をアレンジしたら、「みんながよく知ってる曲を演奏しますよ」と言ったのに生徒はだれも分からず、「今のは校歌でした」と行った時の反応は最高でしたね。「え~、校歌ってこんなかっこよくもなるの!」と。

そこで僕は音楽が嫌いな子はなかなかいないのに、音楽の授業が嫌な子はけっこういると思いました。
そして、音楽教育に携わっていきたいと思うようになりました。
小学校の教育実習も音楽でし、森山威男さんなどを流したりしました。

また他のことも考えていました。
「もじゃけん」の活動の質をあげるために、誘われる音楽の仕事は始めることにしました。
それで出会ったのが、ダンサーとのコラボレーションでした。
前から音の視覚化には非常に興味があり、とても充実した活動ができました。

そこからヒントを得、演奏だけでなくいろんな専門家が施設に行くのは面白いのではないかと思うようになります。
Jazz研には、すでにプロで活躍してる人が複数いました(当時の千葉大はちょっと異常でしたが)。
他のサークルにもすごい人がいるはずだと思い探し始めます。

そこで、作った団体が「かつどう広場」という団体です。
要するにアーティスト派遣団体です。
ダブルダッチ・ジャグリング・ブレイクダンスなどの方々が登録しておりました。
これは、メンバーも学生だということもあり、実験的な感じでそこまで広めずに終わらせました。

こういうのを経て自分は本気で音楽教育界に入っていきたいと思いました。
「ちゃんとしたプロのによる体験を子ども達に」
を実現したいと思いました。
しかし、それは自分がしていくためにはどういう立場でやっていくか選ばなくてはなりません。
教師として、教育学の教授として、政治家として、ミュージシャンとして。
僕はやはり音楽が大好きで、またこれだけの教育の意識があるミュージシャンは少ないと思い、ミュージシャンを選びました。

ですので、僕がちゃんとしたミュージシャンにならなければいけません。
とても厳しい選択でした。
これも僕が海外に行く一歩を踏めた理由の一つにもなっております。

あと二つ、このテーマに関わる経歴があります。
通信制サポート校で、音楽講師として2年間働いたことと、海外に行くための貯金を作るために大分の過疎地域の医院で働いたことです。

サポート校は要するに通信高校の支部のようなものです。
そこにはいろいろな理由で来てる子がいて、不登校だったり、素行が悪くてや、仕事を他にしてるからなど人により全然違います。
そこでは家族・生徒に一生懸命向き合い、音楽を通しても様々な経験をしました。
そこでの出会いは、とても大切な宝物になってます。

医院は過疎地区の実際、都会との違いなど医療を通して地域性というものをとても学びました。
もちろん他にもいろいろありますが、ここもただ目の前の患者のことだけでなく、家族・地域・自治体など多くのものの関わりを一緒に考えていかなければならないことを学びました。

これら活動は全部海外に行く前にしたことです。
なんか本当にいろいろやってますね。