僕が教育・福祉施設で演奏する経緯~きっかけ~

実は僕は一度音楽で生活を志すのを一度やめております。

中学からプロになりたいと思い、いろいろあり、ようやく大学からドラムをしっかり始めました。
ですので入った当初Jazz研では周りがすでにうまい人ばかりで、僕は劣等感の塊でした。
しかし、がむしゃらにやっていき、必死に音楽と向き合っていったおかげで、うまくなったからではなく劣等感がなくなり、じゃあ自分が何をしたいのかも知るために一度やめて、他の世界を見てみようと思いました。

ですので、その時興味が出てきていていた医療と教育を見てみることにしました。
そしてその一つとして、児童相談所で働き始めます。

そのころから初めて、「やらなきゃという音楽」から解放され、自分の好きな音楽に向き合えた気がします。
ですので、児相のお風呂掃除中に大きな古時計をスウィングノリで歌いながら洗ったりしてましたね。

そうこうしていると僕が音楽できるということも保育士の先生方の間で知れ、児相で演奏してくれないかと言われました。
最初はもう音楽はやめたので、人前ではしないと言いましたが、ぜひと言われ、いろいろ考えたあげく一度やってみることになりました。
そこで、曲目を童謡やPopsを自分のやってきた音楽で初めて表現することになりましたが、これがおもしろく、しかもけっこういい感じにはまり、自分の純粋に好きな音楽は何でも自分が学んできたもので表現できることに気づきました。

その児相での演奏が好評だったようで、保育士の先生が「保育所でやってみない?」と言ってくださいました。
僕は音楽をやめた身で少し抵抗もありましたが、もうちょっといろいろ童謡・唱歌などを演奏したいなと思ったのと、お金をとって聴いてもらうという形じゃなけりゃいいかということで始めました。

しかし何回かした後、一緒にやっていたメンバーが就職しなければならなくなり、解散になりました。
ここは自分の転換期で、保育所での演奏が楽しかったですが、やりたい音楽の形でやっていけないなら、やめようと思ってました。
絶対にただの子どもウケの形ではやりたくありませんでした。
目星をつけていた当時ドクターに進んだばかりの先輩がやれなきゃこの活動はやめようと思ってましたが、話したらやりたいと言ってくれました。
さらにベーシストも始めたばかりだけど、とてもいい感じの子が見つかりました。
そして生まれたのが、知る人ぞ知る「もじゃけん」(モダンジャズ研究会の昔からある略語を平仮名にしただけ)というバンドです。

「もじゃけん」はたちまち保育所で広まり、演奏機会が増えていきました。
また保育所だけでなく、病院・学校・老人ホームなどいろいろなところからも演奏依頼が来るようになりました。

そして100件を超える演奏回数になるのですが、この活動を通してとても大きかったものは2つです。

1つは、良いものは良いとちゃんとなるということです。

Jazzは世間一般のイメージは「おしゃれ・難しい・古い」など特殊なものというのをよく聞きます。
しかし僕は特殊なものでなく、だれでも楽しめるけど固定観念が邪魔してると思っておりました。
ですので、子どもだろうと年配の方だろうと相手に合わせたものにするのではなく、自分たちがいいと思う演奏をしておりました。
例えば子ども達には難しいだろうから、ボーカル入れてアニメの流行曲をやって、一緒に歌えるのをたくさんいれてソロは間奏程度でなどなりがちです。
しかし、集中力が切れやすいことに少し注意すれば、フリーのイントロから始まる赤とんぼをバラード調でしっかりやってもちゃんと子ども達は感じてくれます。
当時の僕たち程度の力量でさえ、そのことを強く感じました。

もう1つは、音楽(芸術)の可能性です。

重症心身障がい者病棟で目からうろこのことばを教えてくださった方がいらっしゃいます。
その方は重症心身障がい児のお母さんで、演奏が終わったあと僕に駈け寄りお話してくださいました。

「普段、私は看護や日々の生活などに追われ、なかなか自分の子とゆっくり向き合う機会が気持ち的にもなかった。でも今日あなたたちのおかげで、子どもの手を握り話しかけながら、ゆっくり時間を過ごすことが久し振りにできた気がします。本当にありがとうございました」
と、

こちらこそありがとうございますですよ!
僕はただ演奏が楽しいかどうかとかぐらいにしか頭がいってませんでしたが、このような場があるということでそんなことにも役立つのだと初めて気づきました。
音楽がどう、だけでなく、音楽を通してできることが他にもたくさんあるんだと気づいた最初でした。

この2つが僕には大きく、やりたいことが定まっていきました。

フィッカ!

次回から、また3部作程度のシリーズを書きたいので、その前に一つ。

フィッカ!
これは、スウェーデンの僕はとても大事でスウェーデン人を知る重要な文化と思います。

スラング的な呼び方なのですが、要するにティータイムです。
ただこの習慣がとても生活の一部になっております。
お茶を飲み、お菓子やケーキを食べることもしばしば。

ですので知り合いには、7時に朝ごはん、10時過ぎにフィッカでケーキ、14時くらいにフィッカでクレープ、17時過ぎに夕飯で、20時くらいにフィッカで軽く食べるなど一日5食くらい食べる人もいます。
もちろん夜はフィッカじゃなく、お酒を楽しむバージョンもあります。

そして、それだけでなくこのフィッカの時間が僕の学校では時間割にちゃんと確保されたりしてました。
例えば、Bohuslän Big Bandのサックスの方が授業にいらしたときは、午前いっぱいが授業でしたが合計3時間の授業の間にフィッカの時間が時間割に書かれていて、その方と一緒に生徒みんなで食堂にお茶をしに行きました。

とてもいい時間ですよね。
そういう場だからこそなるリラックスした話ができるし、関係がスムーズに深まったりする時間が自然と持てます。
また時間がゆっくりも感じられて、とてもいい習慣だと思いました。

お茶は各国からのいろんなものがあり、もちろんコーヒーも人気です。
中には自分のオリジナルブレンドティーや秘蔵のお茶を持ってる人も多く、それぞれのを飲みあったりしました。

僕はお菓子はあまり食べないのと日本からのはなかったのですが、大好きなほうじ茶を持ってきていましたので、それを出したりして珍しがられてました。
ほうじ茶は、結構人気でした。
ちなみにお菓子やアイスを年配の方もモリモリ食べる方ばかりでした。
背の高いおじいちゃんが、アイスを山盛りついでウキウキ持っていく姿は、ステキでした。

フィッカの習慣のせいなのか、スウェーデンは夜ご飯は早い時間が多かったですね。
夕飯後のたっぷりあるゆっくりとした時間はとても心地よく、一人でゆっくりするのもいいし、フィッカしたくなりますし、飲みにも行きたくなります。

ぜひ日本でもこのフィッカがはやり、学校や仕事場でも取り入れられる余裕が生まれていってほしいものです。
縁側でお茶を飲み、せんべいや漬物をかじる。懐かしい光景に思われます。

もう一度行きたい国、台湾

国と書きました台湾、ちょー楽しかったです。

僕はカナダの帰りに台湾を経由することになっておりました。
そこで、台湾人の友達に台湾のおすすめ情報を聞きました。

どうやら治安もそんなに悪くない、日本人に対する特別な嫌悪はなく、むしろ好印象だと。
とりあえず台北でゆっくりするから、屋台とかおいしいものを教えてもらいました。
食べ物は聞いても分かりませんので、漢字で書いてもらいました。
本当に漢字は便利です。

中でも印象的なのが、「大腸包小腸包」。
すっごい字ですよね!
彼女にどんなのと聞いてもまだそのころはお互い英語があまりうまくなくよく分からない。
でも見たら納得しました。
でっかいソーセージで、ソーセージを挟んでいるんです。
見た目は、ホットドッグのような感じですが、おっきいほうの中にはお米のようなものが詰まっていて、むちゃくちゃおいしかったです。
本当に台湾は、いろんなお店でいろんな食べ物をおいしく、しかも超安く過ごして最高でした。

僕はお茶が大好きだったのでお茶屋さんにも行きました。
そこでウーロン茶を実際にあの小さい茶器で作りながら説明してくれたのは、本当によかった。
20代くらいの女性の2代目が日本語がしゃべれ、どんなお茶が好きですか?と聞くので、うーんと悩みながら
「甘みがあるのが好きかな、、、」
と答えると
「それは鼻の甘み?舌の甘み?喉の甘みですか?」
と、
いやはや感心しましたね。
僕は、「本場だーー!これこそ、食文化だーー!」とカナダで傷ついた食に関するものがいっきに回復し、食文化の素晴らしさ奥深さに興奮しまくりでした。

あとちょうどそのころ体もガタがきてたので、マッサージに行こうと思いました。
一回目は適当にそこらへんの安いマッサージに行きました。
そのおばちゃんは最高で、僕のことを「センセッ!」って呼ぶし、子どもの数をいうのに20回くらい1から9辺りまで日本語で数えなおしてくれました。
結局12人いました。

次にちょっとカナダで頑張ったし、奮発して贅沢しちゃおうと、いいとこを現地の日本人向けの冊子で見つけ行きました。
行ったら驚きましたね。
そこは行く前に思ってたイメージと違い、女性向けのエステのようなところで、店員さんもきれいな人ばかり。
普段緊張して美容院にもいけない男がエステですよ!
もう大変!緊張しまくり、僕は「ここにいていいのか」と心の中で自問自答しまくりでした。

とりあえずアンケート用紙にどこが悪いとかを書いて提出。
次にシャワーを浴びます。
そして、バスローブ。生まれてこの方着たことないのに、、、
部屋に入ると雰囲気よく薄暗く、アロマキャンドルの明かりくらいです。
ですので、緊張は最高に達して、僕はいったい何をしてるんだ、これから何が起こるんだとドキドキでした。

中でもよりドキドキさせたのが、落ち着いた雰囲気を保つためにマッサージをされるステキな方が、ときどき英語と日本語を交えながら語りかけてくださるのですが、耳元で小声でおっしゃるんです。
「足の筋肉がすごいですね、運動されるんですか?」
ただこれだけでも耳元でぽそっとなんで、どきどきです。
最初に小声で、「ヒロシさん」と呼ばれたときは、びくっとなって大きめな声で「はいっ!」なんて言っちゃいました。

あと、マッサージ中の格好は裸で、肩からつま先までのタオル1枚かかってるだけでしたが、途中で
「タオルを半分めくりますね」
って、おっしゃるんで「背中にクリームとかつけたりするのかな」と思ってたら、左半身全部を二つ折りでした!
「そっちに半分なのねーーーん!」
半背中、半ケツ状態です。
「大丈夫?何か見えてない?」とドキドキはこの時が最高点でした。
これも「もうお嫁に行けないっ!」て思ったエピソードです。

まあ、こんな感じで台湾は楽しく、近いからこそ気づくいろんな発見があり、最高でした。

カナダで台湾の方で印象的なことが一つ。
英語の授業で、先生が話の流れで「君たちチャイニーズは、、、」と、台湾の女の子に言うとその子は
「ノー、アイアム タイワニーズ」と、はっきり言ってました。
「今はそういう意味じゃなく、まとめてチャイニーズと言ってるの」と先生が言い
「いえ、私はチャイニーズではありません」と、はっきり答えてました。
ぼさっとしていた僕は、いろいろ考えさせられました。

バカだなぁと思いつつ、好きなとこ

僕はですね、今は自分で自分を褒めていくしかないよねぇ、としています。
最近本当にいろいろあって、疲れてるので思い出し自分褒めをしよう!と思います。

さて、僕が学生の時、教育学の授業の単位認定の試験です。

「2題、出します。それぞれ50点満点で、自分の思う点数を書きなさい」

と、言われました。

1問目は、教育に関するまじめな問題です。
忘れましたが、「現代教育における問題点を1つ挙げ、その改善法をこたえよ」のような自分の意見を書く問題でした。

2問目は、「”タヌキ”、”カネ”、”ヒト”、を使って自由に書きなさい」でした。

この先生は、教育界のけっこうな重鎮らしいですが、名物先生らしく、こういう問題を出してくるという話でした。
こういう先生が僕は大好きで、本当にこんな試験を出すんだと感心したものです。
だから、バカな僕は逆に挑みかかってしまいます。

1問目は、A3の解答用紙の3分の2くらいで、思うことを書きました。
そして、これは自分の意見ですので、50点中50点と書きました。

そこで、2問目です。
はてはて、どうしたものか。何とか一矢報いたいと考えました。

そこで、書いた僕の答えはこれでした。

「タヌキとヒトは、関係あるのカネ?」

アホですね。
今思うと本当にアホだなと思いますが、当時は一番短いし、教育学の試験でこのような問題を出すことへの皮肉にもなる。
「これをどう評価するかで、逆に君の器を計ってやる!」と偉そうに0点と書いて、出しに行きました。

先生は受け取ると、パッと見てフフーンとした顔をし、

「君はこの点数だと60点に届かなくて不可になる(単位が取れない)から、点数を書きなおしなさい」
と言い、

「いえ。それなら、それでいいです」
と答え、教室を後にしました。

バカの極地ですね。めんどくさすぎるやつだとも思います。
そんなバカに先生は「優」をくれました。

僕は、バカ極まりなく恥ずかしくもありますが、自分でこういうバカは好きになっちゃうなとも思ってしまいます。
実は、実際にそういう子に出くわしました。

僕が通信制サポート校で、先生をしてる時、大学ごときで「僕らは無理だ」とあきらめてる子たちの価値観を変えるために大学で実際に教育学の授業で出た問題として、この2題目をさせました。
単位認定の試験とはどういうものか、など脅しをつけてです。

そしたら、ほとんどの子は大学の問題だからと思い、一生懸命書いてました。
もちろん、どれも一生懸命で、それぞれの性格が出てました。

しかし、その中の1人の女の子が、僕とほぼ同じ答えを書いてました。
驚きましたね。

その子は、一般的にいう超不良の子で、確かにとがりまくってました。
やっぱり、バカだなと思いつつ、好きだなぁと思いました。

あぁ、小生意気な答えを書けた自分を褒めるつもりが、一生懸命に過ごしたサポート校で、出会えた大好きな生徒たちを思い出し、元気になりました。
みんな、一生懸命だったなぁ。

話が、途中から変わるのも良いことのようです。