僕の行った国の共通音楽事情

さて、そろそろ海外の音楽事情を書いてみようと思います。
ですので、ここからはしばらく何回か音楽事情編が続きます。

僕は住んだことある3国はもちろん、ヨーロッパの他の国でも勇気を振り絞って、いろんなジャンルのジャムセッションに行ったりしました。
それでいつも驚くのは、人の多さです。

ジャムセッションに一般のお客さんが本当にたくさん聴きに来ております。

立ち見になってしまうこともざらにあります。

日本で考えられないですよね!

演奏参加者は、無料です。ベルリンですとビールも軽食も無料のところもありました。

聴きに来るだけのお客さんもチャージを取らないところが普通で、取っても500円前後です。

これは文化の違いが大きく関与してるようです。

バー文化であり、そこに音楽があることは特別なものではないのでしょう。

飲みに行くとなったら、本当に飲むだけなことが多い。つまみなんておいてないことは珍しくないです。

音楽がつまみであり、踊ることが楽しみだったりするようです。

ですので、ミュージシャンはそういう場を提供してくれる技能を持った人たちであり、無料でした。

またジャムセッションはいろんなミュージシャンの発掘の場でもあり、それを楽しみにきて、あいつは良い・悪いなどを話すのを楽しみにしている人もいるようです。

僕は珍しいのもあり、各国でだいたい褒めていただけました。

おもしろいのは、「お前最高だった」とチップをくれたり、飲み物をごちそうになったりもしますし、街中でいきなり話しかけられることもしばしばでした。

そんなみなさんの多くは、僕を指さす→ドラムのジェスチャー→親指突き出し、グーで、会話が始まります。

またどの国でもストリートミュージシャンも多く、中には驚くほどステキなミュージシャンもいます。

図書館や美術館で、演奏会が開かれますし、電車の中に演奏者がいきなり入ってきて、一駅ごとに車両を変えたり、音楽はとても身近でした。

そして最後に共通項であげるとしたら、カナダもヨーロッパもJazzを教えてる国公立の大学などの教育機関があります。

そこには、海外の超有名ミュージシャンが教えに来てたり、僕も含め留学生も多数です。

以上の共通項もふまえて思うのは、Jazzは盛んな音楽でした。ベルリン・スウェーデンでは、若者の音楽という認識すらありました。

観光産業の一翼を担っていたと言ったら、言い過ぎでしょうか?少なくともベルリンでは、そうでした。

僕が日本に帰ってきて思うのは、日本のJazz界は世界に何にも恥じることのないミュージシャンが多数います。

そんな人たちがもっと知られ、いろんな交流をどんどんできる場を日本につくっていきたいものです。

さて、次回からは各国の音楽の様子を書いていきますね。

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僕のばあちゃん

僕はいつも家族にとても助けられてます。

その中で今回は、ばあちゃんのことを書いてみたいと思います。

ばあちゃんは僕が高校3年生の時から一緒に住むようになりました。

とてもやさしい人で、僕は大好きでよく冗談も言い合ってました。

ちょっとおもしろいのは、アメリカで生まれたらしく3歳くらいまで向こうにいたそうです。

その時の名残が少し残っていて、ハンカチ→ハンカチーフ、プリン→プディングと言ってました。
中でも驚いたのはウイスキーを「フィスキー」と言ってたことです。

そんなばあちゃんに救われた一言があります。

やっぱり音楽を仕事にしていくというのはとても大変で、それを目指すのはとても心配なことです。

今でも心配です。

周りの僕の大事な人はとても心配してくれます。

とてもありがたいことです。

しかし、ばあちゃんは違いました。

ばあちゃんはいつも僕に「洋、あんたは自分がしたいと思うことを思いっきりやりなさい」と言ってくれてました。

何をしてるとか、今どんな感じだとかは一切聞かずに、ただただ信頼してくれてました。
僕の中高時代のハチャメチャさとかも良く知ってるのに(1年以上連続で毎月親が学校に呼び出されてた時期もあったり、、、恥ずかしいことです)。

本当にこの100パーセントの信頼は、幾度となく僕を救ってくれました。

祖母という立場だからできる100パーセントの信頼だったり、孫だからこそ素直にそう思えた関係性かもしれません。

でもこの信頼されることのありがたみを知ってる僕は、出会う子どもたちに信頼を伝えるようにしております。

そんな大事なことを教えてくれたばあちゃんは、もう死んで何年も経ちます。

海外に行く準備で、実家にしばらく住んだときがあります。

僕は基本的に人に対して自信が無かったりするので、こういうことは言えませんが、ばあちゃんの遺影の前ではこう言えました。

「僕と一緒に住みたかっただろうな、長生きしてほしかったな」

そして、ばあちゃんは、今でも僕を救ってくれています。

ありがとう

鉄板ギャグから見える文化の違い

やっぱり海外に住んでると地元の方からよく質問されるのは「日本は恋しくない?」です。
僕はあんまり恋しくなかったですね。
修行中の身ですし、この国でもっと吸収したいと前しか見ていませんでしたから。
ですので、「そんなに恋しくないよ、、、でも日本のご飯を食べに帰りたくなるかな」と答えておりました。
たぶん皆さんもこの気持ちは分かっていただけるのではないかと思います。
僕がカナダに行き、3・4か月たったある日、日本から輸入したどん兵衛を見つけました。
そこは日本の物を売ってる日本の方がしてるスーパーで、コンビニで売ってるようなおにぎりも売ってました!
僕は喜んで買ってそこで食べました。
そしたら、訳も分からず涙があふれ、号泣いたしました。
初めて自分ががんばってること疲れてることに気づき、驚きました。
皆さん、出汁は泣かせますよ。
ところが、スウェーデンでは「そんなに恋しくないよ、、、でも日本のご飯を食べに帰りたくなるかな」が鉄板ギャグでした!!
もうみんなにウケにウケました。
「日本にご飯を食べに帰りたいだって!!ヒロ~、お前はなんておもしろいんだ!」と、です。
もうカナダの話をつけ足そうものなら、ゲラゲラがとまりません。
どういうことかと自分の分析では、もちろん全員ではないですが、食文化の意識がスウェーデンでは日本に比べるとかなり薄いようです。
来て最初に驚いたのは、スウェーデンでおすすめ料理を聞くと大勢の人が頭を悩まし、「んー、、、ポテトかな?」
それ食材じゃないすか!!!
しかもそれはヨーロッパ全般じゃない?
もちろんスウェーデンもいろいろあるんですよ。
肉団子料理、ジャムの使い方、鮭料理(これは専門店に連れて行ってもらったりしました、最高でした!)、ベリー系などなど。
しかし、あまり食の意識が強い人は少ないですね。(お酒のことはまた別で書きます)
ただ菜食主義はかなり浸透しています、特に若い人。
ですので、見た目は全くソーセージや肉団子なのに野菜でできたものの種類が半端なくありました。(口の悪いやつはフェイク料理と呼んでました)
学校の給食も菜食主義の方のためのコーナーがありましたし、菜食主義専門のレストランもありました。(むっちゃおいしかったです)
僕が若い人と接することが多かったのも大きい、そんなに一事を万事とってほしくないですが、外食の種類の豊富さは日本は異常です。
すばらしいですよね。
あ、そうそう僕のカナダ人の友達は「カナダは『美味しいとこ、連れてってやるよ』といって連れてってくれるとこは、量が多いところだ」といっておりました。
世界は、おもしろいです。

僕と童謡

よし!僕が住んだことがある海外3国を書いたので、ちょっとここで音楽のことを書いてみます。

僕は中学生のころから音楽をしたいと強く思っておりましたが、高校卒業まで音楽はほとんどできませんでした。(この話はいずれ書くかもです)

ですので、本当に音楽を始めたのは大学からです。
つまり、ジャズから音楽を始めたといっても過言じゃないでしょう。

でも自分はジャズも好き、洋楽も好き、邦楽もクラッシックも民族音楽も、、、と何でも好きなものは好きです。

しかし、自分の音楽の原点は何かと聞かれますと必ず「童謡・唱歌」とこたえます。

僕は一度音楽をやめてるのですが、戻った理由も童謡を演奏したいと始めた福祉施設・教育施設での演奏がきっかけです。

さてそんな僕をあらわすお気に入りのエピソード。

僕は23歳くらいの時に胆のう結石を患いまして、入院しました。

痛かったっす。

手術で摘出となりまして、全身麻酔をすることになりました。
(手術自体は内視鏡で行うもので、おっきいものではありません)

全身麻酔は初めてということで、看護師さんが説明してくれました。

「人によっては、麻酔から覚めるときに酔っぱらったみたいになる人もいるんですよ~」

そういうことがあるんですね、知らなかったっす。
でも僕はお酒で記憶がないという経験はないので、全然想像がつきませんでした。
(僕は意識が飛ぶより、気持ち悪くなるのが先にきます)

で、実際手術が終わり目が覚めると、もう尿管のつらさしかなかったです。

あれはつらいです。本当にずっと洗濯ばさみでつままれてる感じで、いつとれるかとずっとそのことばかり考えていました。

2・3日して尿管がとれて落ち着いてると隣にいた母が

「あんた、やだわ~。恥ずかしいわ~、あんな大きな声で、、」

尿管の苦情をうわごとで言っていたかと思って聞いたら

「麻酔から覚めるとき、ずっと赤とんぼを歌ってんだもん」

「えっっ!」

言われたら、かすかに思い出しました。歌っていたかも、、、
これが世に言う記憶が飛ぶというやつか!と思っていたら、母が

「看護師さんが『どうして、その歌を歌うの?』って聞いたら、『僕はこうやって目を覚ますんだ!』と言って、ずっとつづけるんだもん。あ~、恥ずかしかった」

”やるじゃん、おれ!”と、思いましたよ。

さすがですね、坪井!お恥ずかしながらむちゃくちゃうれしかったです。

どうやら、その目覚めのまま今日まで来ているようで、だから変わったドラマーとして台頭してきているのかも。

いや、まだ目覚めておらず、うたい続けているのかも、、

僕にとってドラムはメロディ楽器のようです。

ベルリンのお医者さん

実は僕は、ベルリンから帰るついで(と言っても逆ですが)にずっとやりたかったバラフォンを習いにガーナに行こうとしてました。(これから書く内容はあくまで僕の個人的体験ですので、アフリカ渡航をされる方はちゃんとお調べになってください!)

やっぱりドラマーは一度はアフリカに行っておかないと、と。
そこで調べたら、予防注射を受けないといけない!!!と分かりました。
インド行きで、そういう話はあったので予想はしてましたが、、

さあ、大変!海外で病院に行くというのはとても緊張します。
言葉・制度・保険などなど。
でも海外渡航に詳しい方が予防注射をされてるので、英語で大丈夫と。

何とか電話で予約という最初の壁を乗り越え、行ってきました。

医院は外から見ると 普通の建物(あ~、写真の入れ方わかんない)!2階は幼稚園!大丈夫か子ども達!!と思いながら上がってみると、ちゃんと医院でした。

でも中はすごかったですね、現代絵画のちょっと極彩色の絵がこれでもかと壁に、、、

ここは、マッドなお医者じゃないよね?とドキドキしてると先生が出迎えてくれました。

「きゃー、絵にかいたような紳士なおじさま!!」

これが、あたしの第一印象でした。

お髭といい、服装といいとってもステキで、笑顔もステキ!やさしそう!

おひょいさんをもっともっと知的寄りにした感じです。

安心いたしました。
専門用語も多く難しかったですが、丁寧に説明してくださり、どれを受けてどれを受けないかを親身に相談に乗ってくださいました。

またいろいろガーナで気をつけるべきこともいろいろ話してくださりました。

「お水はぜったい封を切ってないもの、氷はぜったいだめ」

「服は黒でなく、派手な色を」蚊に対する対策だそうで、だからアフリカの人は派手な色の民族衣装なのか?と勝手に想像。

「洗濯物を夜に干してはいけない」どんなのかは控えますが危険な虫がくるそうです。

など教えてくれました。

そういう説明の中には

「川はいけない、入ったら70%の人はこの病気にかかる、あとの30%はなんだかわかるかい?」

「ワニに食われるのさぁ!わっはっは!!!!」

ドイツ医者ジョークも満載でした(数字はうろ覚えです)。

けっきょくいろんな関係で、その時はガーナに行けませんでしたが、黄熱病予防などはすませてるので、落ち着いたら少し行ってみたいっす。

ちなみにこのお医者様のメモも持って帰り、読みにくいところをイタリア人見てもらったら、「ヒロ、医者は世界で一番字が汚い人たちの一人だ、僕に読めないのもある、心配するな」と。

分かんない字があるたびに「ファッ〇!」と叫びながら、解読してくれました。
あ~ん、お医者さんよ。そのイメージは世界共通のようです。
事情は分かりますよ!

でもそれも併せてステキなお医者さんでした。